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<回想>

想いは月を巡り 廻り続ける それは断ち切れない鎖


広い屋敷。白い汚れひとつ無い壁。繊細な画の描かれた襖。
曲がりくねった細く長い廊下は、その広大さゆえに初めて訪れる者の方向感覚さえ奪う。
広大でよく手入れされた庭園と雅な香り漂う屋敷が、斯斬の上司であり、さらには現恋人の兄である男の住まいだった。


いつものように法士としての仕事の合間を縫って訪れた彼に、屋敷の女中達が深く頭を下げる。それへの挨拶もそこそこに斯斬は屋敷へとあがった。
勝手知ったる我が屋敷というわけではないが、この関係もすでに2年となれば慣れたもの。
迷わずに目的の部屋へと真っ直ぐに進む。これでも、斯斬はなかなかに多忙な身だった。

まるで隠すように、屋敷の奥の奥。
いつも彼女の過ごしている、日当たりの良い静かなその部屋を訪れる。屋敷のほぼ中心にあるその部屋には、専用の中庭まで設えてある。
箱庭と言ってしまえば皮肉になるかもしれない。
病弱な部屋の主のためにと、東西から取り寄せた美しい花や木を植えた彼女のためだけのそこは、いつも柔らかい光に満ちていた。

しかし覗き込んだ広い部屋には、彼女も、いつも傍を離れない乳母の姿も無かった。
もしや、と、見事な庭園を臨ませる縁側まで出向けば、緑の向こうから軽やかな笑い声が響いてくる。

「累杷―…」

「斯斬っ?」

呼びかけに応えて、緑の木々の向こうから、少女が顔を覗かせる。
日の光の下でも、お世辞にも顔色が良いとは言えない白い顔が青年の姿を見止めて満面の笑顔に変わった。

「いらっしゃい!」



 * * *



きっかけは、割とどこにでもある珍しくも無いものだった。

法士として登城した斯斬は、その才能ですぐに上位研究員として抜擢された。
当時から研究員をまとめていたのが、累杷の兄だったのだ。
聡明で控えめ。気配りも出来る青年を彼はすぐに気に入り、やがて屋敷にも呼んで酒の同席も許すようになる。
そうして親交を深めるうちに、男は病弱で屋敷に篭っているという妹を紹介した。
その時、累杷はまだ漸く髪を伸ばし始めたくらいの少女。

けれど、二人が顔を合わせたその瞬間から、二人は惹かれていた。
それはどこか運命的なほどに。

斯斬の訪れの際には累杷も顔を出すようになり、少しずつ深まっていく関係に、もちろん兄である上司が気がつかないはずが無く。
妹を目に入れても痛くないほどに可愛がっていた男だったけれど、好青年として努めてきた斯斬に反対を申し渡す事も無かった。
二人の両親はすでに他界していて、兄の認めと同時に、晴れて斯斬は累杷の許婚(いいなずけ)として認められた。
そして、変わらぬ親交をもって、2日と開けずに屋敷を訪れる日々が続き、現在に至る。




「ほら、北の国で作っている硝子細工。前に見たいって言っただろう? 今日届いたんだ」
「わぁ…!」

花飾りを作っていたらしい累杷と乳母が屋敷に戻り、乳母が茶を入れに立ったのを見送ると、斯斬は懐から包みを取り出した。
丁寧に繻子で包んだそれは、北の国で作られる工芸品。解くと、つるりとした表面に繊細な彫刻を施した透明な硝子細工が覗く。
羽ばたこうとする小鳥の姿を模した細工は、縁側からの柔らかな日差しにきらきらと輝いた。

「凄い…綺麗…」

白い手が思わず、と言う風に伸ばされてから、氷と見紛うそれに躊躇うのを苦笑して促す。
促されて手に取った累杷は、見た目よりも重さがあるのに少し驚いてから、硝子の小鳥を持ち上げてそのまぶしさに目を細めた。

「本当に氷みたいだ…。でも実際は少し温かいんだね?」
「ずっと懐に入れてきたからな…熱が移ったんだろう」
「あは、じゃあ、このあったかさは斯斬なんだね」
「………」

なにか照れる様な言い方をするのに、憮然とした表情を返すと、ころころと笑う。

「ありがとう、これ、貰っても良いの…?」
「勿論。落としたりすると割れるからな、扱いに気をつけろよ」

割れた破片が危ないから。そういう意味で言ったのだが、少女は別の意味で受け取ったらしい。

「絶対壊したりしないよ。何があっても大切にする、斯斬に貰ったものだもの」

光を透かし、乱反射する様を楽しみながらしっかりと頷き返した。




「あらあら、綺麗ですねぇ…」
「お帰りなさい。」
お盆に薫り高い茶と、小さな和菓子を載せて帰ってきた乳母は、累杷の手の中の硝子細工を示してにっこりと笑った。
盆を置いて茶を配りながら、
「累杷様、ところで今日のお薬はお飲みになられましたか?」
「……飲んだよ?」
嘘が下手だ。
間に気がついて、乳母が困ったように俺を見返した。薬が不味いと駄々をこねるのは良く有る事。
文句を言っても飲むしかないと分かっているのに、どうやらまた甘え癖が出た様だ。斯斬が訪れると、どうにも少しばかり気が強くなるらしい。このお嬢様は。
「累杷。医者に怒られるぞ」
「…苦いんだもの」
「苦い薬は効くと言うだろう」
「甘くないと嫌だよ」
そう言いながら茶菓子に手を伸ばすのを、素早く阻止。皿ごとひょいっと手の届かない位置に持ち上げてやる。
一瞬大きな赤茶色の瞳を見開いてから、次にきりっと目じりを吊り上げて手の持ち主を睨みつける。
「斯斬!?」
「これは口直しだ。飲んだら食べても良いぞ」
「……意地悪だ」
「なんとでも。 キヌさん、薬を持ってきて頂けますか?」
乳母は頷いて、すぐに小さな白の包子と水差しを盆に乗せて戻ってくる。

「ほら、口開けて」
「やーだー…」

むくれて抵抗するのを抑えると、しぶしぶと口を開けた。
その口の中、なるべく舌の奥へと粉薬を落として、すぐに水差しの水を流してやる。
飲み込んだのを確認して体を開放してやると、涙目で口を押さえていた。もごもごと話す言葉は聞き取れないけれど、その表情で何を言いたいのか良く分かる。
苦笑しながら頭を撫でて、避けていた和菓子を差し出してやると飛びつくように頬張った。
「ほらほら、累杷様。そんなに慌てて召し上がっては喉に詰らせますよ」
その様子に笑いをかみ殺しながら、乳母が茶を差し出す。
「まさか、いつも今みたいに、キヌさんに飲ませてもらってるんじゃないだろうな?」
「そんな事無いよ! 薬くらい自分で飲めるよ!」
差し出されたお茶を流し込んでの噛み付き返し。痛くプライドを傷つけられたのか、苦さゆえの涙目も引っ込んだらしい。

「そうか、偉いな。なら毎日ちゃんと飲めるな」

褒めて、大好きな頭撫で。

「……うん」

複雑そうな顔で頷くのに、微笑み返した。


 * * *


累杷は生まれつき体が強くは無かった。
幼い頃はしょっちゅう熱を出しては、床に戻るの繰り返し。子供というのは遊ぶ事にとても熱心だから、自由に外に出ることも出来なかった彼女は、次第にふさぎこむ様になった。
それに次いで、両親が都を騒がせていた妖(あやかし)に惨殺される。

当時の記憶は、まだ子供だった斯斬にも鮮明だった。
都を守る役目を持つ法士達の守りを破り、街の一画を襲ったそれらは飢えのままに人々を貪った。
漸く倒された現場には、「食いかけ」が転がり、破壊された屋敷が半壊になって並び、雅な都であることが信じられない光景。
その犠牲者の中に、両親を失った兄妹が居た事は、ちょっとした噂になっていたのだ。

両親の死は予想以上に彼女の心身を痛めつけた。
少女は引き取られた仮住まいの屋敷から出ることが無くなり、やがて気持ちに比例するように肺を病んだ。
兄は残された妹を守り、両親の仇を討つために勉学に打ち込む。やがて都でも有名な法士となる。
一度は家を失った彼らの苦労は、流石の斯斬でも全てを知る事はできない。
ただ、並々ならぬ苦労を潜り抜けて、今この屋敷に兄妹は居を構えている。その絆もまた、きっと深かった。

だからだろう。

累杷の兄が研究員の頭になり、研究分野の指揮を執るようになると、あるひとつの新しい分野に対して大きく研究員を裂く様になったのだ。
すなわち、「法医学」。
医学に法術と呼ばれる、対妖の技術を組み込んだもの。現代医学の限界を超えようとするもの。……彼の妹の肺の病は、いわゆる不治、と称されるものだったからだ。




広い和室の中央に広げられた、純白の床に、波うち広がる黒い髪。
柔らかな光の中に響く、小さな咳の音。

時は確かに刻まれ続けていた。





刻々と 磨り減り続ける

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