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雲間から溢れた月光は、ひんやりと澄んだ光を降り注ぐ。
大地に広がるそれを、まるで暴き覆うかのように。

少女はまだ温かな青年の首を、そっと愛しげに抱きしめて、丸く大きな月を見上げた。

大好きだよ。大好きだったよ。



だから、さようなら





『還りたくない』






「ねぇ、あれなぁに?」
「ん…?  どれだ?」

季節は晩夏。
古文の上でも月が美しいとされるこの季節は、どこの街でも豊作の祈りや祭りで大なり小なり盛り上がる。

斯斬(しぎり)と累杷(るいは)が訪れたその町も、ちょうど夏祭りの折。市場に色とりどりの飾りや、可愛らしく飾られた花火が溢れ、催し物の宣伝が立ち回る。
累杷はこういう大きな祭りに遭遇したのは初めてだったかもしれない。きょろきょろと楽しそうに見ているので自由にさせて置いたが、なにか特別に興味をそそられたものがあったのか袖を引かれて注意を促される。
彼女の指が指し示すのは、細い紙縒り(こより)の先に、少量の火薬を塗ったもの。
…花火だった。

「なんだぁ? お嬢ちゃん花火を見るの初めてかい?」

露店の、良く日に焼けた初老の男が細い煙管の煙をくゆらせながら朗らかに笑う。

「花火? こんなに小さいのに空に飛ぶの?」
「違う違う。 …これは線香花火って言ってなぁ。
 この先の所、ちょっと丸くなってるだろ? ここに火ぃつけて…」

苦笑しながら、束から一本引き抜いて少女の目の前に差し出す。
興味深々に説明を聞く累杷の背中を眺めていて、斯斬はふと思い出した。

生前、累杷は生まれつき体が弱かったから、祭りや祝い事の席は苦手だった。
煙草の煙もご法度と止められていたから、きっと花火も、打ち上げられた空の華以外は見た事が無かったんだろう。

そうやって、ふと昔の姿を。
床に横たわり、たまに調子の良いときにだけ庭に出て、花や鳥や蝶を愛でるだけだった白い顔を思い出すたびに。
今、元気に振舞う彼女の、この時が愛しい。

「親父、その一束貰えるか」
「ぉ、あぁ、兄さん連れかぁ。代金は要らんからもってけ。
 その年で線香花火を見たこと無いなんて、お嬢ちゃんが可哀想だからなぁ!」

頬骨の出たいかつい顔を歪ませて、けらけらと朗らかに笑う男に、累杷がぷーっと頬を膨らませる。

「ちょっと知らなかっただけです…。そんなに笑うこと無いじゃないですか」
「おぅそうだな、知らないものは仕方ないよなぁ」
頭をかき混ぜられて、ますますふくれっ面をするのを笑いながら、差し出されたままだった小さな束を受け取る。
「じゃあ、ありがたく…。累杷も、ほら、いじけてないで礼を言え」

受け取りながら、ぶつぶつと呟く少女の頭を軽く小突く。
可愛らしくぺこりと頭を下げたのを確認してから、再度礼を言って露店を後にしようとすると、ふと気がついたかのように、再び威勢のいい声がかけられた。

「あんたら旅客だろ? 今夜から三日間、裏山の神社の境内を中心に祭があるからよ。
 良かったら見物していけ!!」
「お祭? うん、ありがとう〜!」

ぱたぱたと手を振り応える少女の、もう片方の手を引きながら、裏山と示された街の奥の森を見上げる。ここからは確認できないが、今夜が祭りの初日だというのなら、あの下ではもうすでに飾り付けや屋台の準備が始まって大層賑わっているだろう。

「お祭かぁ…。そういえば、屋台とか見たこと無い。ねぇ斯斬、今夜はお祭参加しようよ!」

傍らの少女は、まだ見ぬ祭りの喧騒にいたく興味をそそられたらしい。こちらの腕に抱きついての得意のおねだりだ。
くっつかれて、低い位置から見上げられる視線には弱い。…自分を映しこむやたらと大きな赤い瞳が、濡れたみたいに見えて。
…別に、止めないといけない理由も無いけれども。

「じゃあ、早めに宿をとって、夕方まで休憩しよう。」
「やったぁっ」

了解の意を送ると、満面の笑みで一度ぴょんと跳ねた。

累杷は、二度目の生で以前よりぐっと明るくなった。
いや、はしゃぐようになったが正しいか。

目を細めながら、軽やかに翻る黒い髪の尾を、白い着物の袖を見て。

…これが、俺が『全て』と引き換えに手に入れたもの。
………後悔なんて無い。昔も、今も、きっとこれからも。

………………………小さく心中で呟いた。




『かぐや姫はこの世界が好きでした。』
『物語の裏側でまで、姫が月に恋焦がれていたなど、誰が保証するのでしょう?』




夕日が落ちて。

虫の音が響く頃、町はいつもとは違い、ますます活気を帯びていく。
町中に提灯が飾られて、火を灯されて、淡いオレンジ色の光が人々の顔や夕闇に浸った建物を幻想的に染め上げる。
涼しげなお囃子がどこからか響く中、昼間手に入れた線香花火と小さな火打石を累杷に持たせ、二人はお祭の会場へと足を運んでいた。
途中、甲高い声で騒ぎながら会場へ走る子供の集団や、綿のような菓子を持った親子、色とりどりの浴衣を着た女性達とすれ違う。

少し羨ましそうに、その鮮やかな色彩を見送った少女に気がついて。

「…どうした?」
「……僕、地味じゃない? 真っ白で」

振る内容を間違えた。とっさに悟る。

そんな俺を知らずに、その場で立ち止まって、両手を広げて自分の着物を見下ろす累杷。
確かに、彼女らの浴衣のような鮮やかさは無いけれども。
光を映して淡く浮き上がる華模様が織られた累杷の着物は、誰の目にも上質のソレだと判る代物だ。
それに、そんな白い着物に、彼女の黒髪と赤い瞳がとても良く映えている、と思うのに。

「ねー?」

俺のコメントが無いのが不満らしい。
眉を寄せて迫ってくるが、…女性の服装についてなど、男の俺が答えられると思うのだろうか……。
「…………累杷は白が凄く似合うから」
当たり障りの無い返答は、彼女の臍を曲げたらしかった。
「なにそれ〜。…斯斬の朴念仁っ」
また子供みたいにむくれて。
そのままてくてくと早足で歩いていくけれど。……あいつは行き先がちゃんと分かっているのだろうか。それに、左右にぴよぴよと大げさにゆれる髪の尻尾は、わざと機嫌が悪いことをアピールしてるのか?

そんな風に考えながらその後姿を見ていたら、なんだか笑いがこみ上げてきて。

まぁ、明るいお囃子の方向に進めばいいし、迷っても今日はどこだってお祭り騒ぎ。
のんびりと夜の散歩もいいだろう、な。


響く祭り囃子と 浮かぶ焔の灯火
非日常に沸き立つその日は

置き忘れた過去への誘い


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