華
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青年が去ったその場所で、少女がひとり笑っていた。 とても嬉しそうに。 [『優しい人だね』 そう言って、くすくすと笑い声を立てて。 雪のように桜の花弁が降り落ちる。 その中を少女がくるくると軽やかに舞う。 花は散っていく。 やがて、花弁ひとつ、葉一枚すらも、その大木から散り落ちるまで。 『今日の夜、またこの場所で。』 にこりと笑って、少女はそう囁いた。 俺はそれに微笑んで頷いた。 その日は、遅れて起きたらしい青年と待ち合わせると、二人は連れ立って町の見物をするようだった。 二人の邪魔をする気にはなれなくて、俺はそんな二人から少し離れて適当に時間を潰し、今日一日を過ごすことにする。 遠目でも二人は目立って、その仲の睦まじさは、見ているこちらまで幸せになれるような光景。 なんとなく胸を焦がすものもあったけれど、…微笑ましさの方が先に立った。 今も、屋台で買った焼き菓子を頬張りながら、二人は水辺で戯れる野鳥を指差しては何事かを囁きあっていて。 (本当に、表情だけで、どれだけ相手が好きなのか良く分かるな…。) 入れる隙間なんて、髪の先ほども無いだろう…。 そんな二人だから、なんとなく、彼が彼女を禁忌を犯してまで呼び戻した理由が分かる気がした。 それは決して許されない行為だけれど…彼らが互いを無くしたら、それこそ二人にとっては、世界が無くなったのに等しいのではないかと思うのだ。 それほどまでに追い詰められたとしたら、いったい誰がその咎を責められるだろうか…。 俺は知らなかった。 世界と引き換えにしてもいいほどの愛情を、なんと呼ぶのかを。 夜。 美しい大きな月夜だった。 灯りを持たなくても、月光で十分辺りが伺えるくらいに。 俺はそんな中を、今朝登ったように旅館への山道を登る。 風が無い夜だった。 昼間の喧騒も無く、足音しか響かないその風景は、昼間とは何処となく別世界で。 そして旅館の前にたどり着くと、俺はそこを通り過ぎ、迷わずに近くの竹林へと歩を進めた。 途端、竹林の微かなさらさらという音だけが、世界を埋めつくした。 道筋はしっかりと覚えていた。 月光では流石に竹林の中は暗かったが、今朝の白い後姿がくっきりと焼きついている。 導かれるようにその幻影を追って、俺はどんどんと竹林の奥に進む。 そして、ふいに目の前が開けて、一気に世界の色が白になる――。 「―ありがとう。来てくれて」 少女が、微笑んでいた。 「あなたが分けてくれるって言ってくれたから、本当に嬉しかったんだ。」 なんとなく、二人でぼんやりと夜桜を眺めて。 朝の桜も綺麗だったけれど、こうやって月光を透かし見るその色は、どこか青みを帯びていてよりいっそう艶やかだった。 竹林のさやさやという音に、眠気を誘われるような気がする。 太い幹に背中を預けてゆっくりと目を伏せる。 そうして二人で無言で時を過ごしていたら、少女が不意にそう呟いた。 さやさや さやさや 「俺なんかでも、良かったら・・・」 なんとなく照れくさくてぼそりと返す。 「うん」 ・・・とさ ふいに、体が浮いたようになり、驚いて目を開くと、視界の端で白い花弁が舞い上がるのが見えた。 背中全体に、ひんやりと柔らかな花弁の感触。 そして、腹と胸元に感じる、心地よい重み。 青白い桜の天井を背負って、少女が俺の上に乗っている。 見た目よりもずっと軽いその肢体が、月光でより白く透けるような面が、闇夜でもきらきらと輝くような紅い眼が。 「ちょうだい・・・」 ぞくり・・・ 月光に縁取られた少女の顔が、瞳をとろりと潤ませてゆっくりと近づいてくる。 うっすらと紅の差した頬と、ちろりと覗いた赤い舌に瞳を奪われる。 長い髪がはらりと落ちて・・・ 少女の顔が、ゆっくりと、俺の首元に埋まる。 ふぅっと暖かな息が触れて、頭の芯が痺れたように、視界がかすむ。 ぞくぞくと何かが背筋をなでて。 心地よい何かに、俺は身をゆだねた。 意識を包むのは、暖かさと、やわらかさと、何かの花の、甘い甘い香り。 甘美な夢。 |
美しく 甘く 純粋に 花は誘う 甘い香りに棘を隠して |
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