月の無い夜に・5



夜が明けた

明けた世界にあったのは





 『ユレンー!』
 兄が満面の笑みで、こちらに手を振っている。

 これはいつの記憶だろう。

 吹き抜ける、若草の香りの風。
 天井に広がる高い空。
 目に映る四方に、高くそびえる山々。 
 なだらかな窪地に、点々と作られた素朴な家々と、家畜の嘶き。

 故郷の風景。

 そのころの私はまだ、軍とは無縁だった。

 村には大人が少ない。
 先の戦で、沢山の大人たちが戦いに赴き、子供たちだけを残して逝った。
 だから、私たちは力を合わせて村を営んできた。
 そんな私も、親を亡くした子供の一人だった・・・。

 気持ちの良い陽気の日だった。
 洗濯物を庭の木々にはったロープに広げて、太陽の光を一身に浴びて。
 そんな時に、兄が丘の向こうから帰ってきて、満面の笑みを見せたのだ。
 手には何かの封筒を握って。


 『軍の入隊試験、受けられることになったんだ』


 今更軍なんて?
 村は平和なのに。
 駄々をこねた。
 けれど、優しく諭された。

 平和なのはこの村の中だけ。
 外の世界では、いまだに精霊国との間に諍いが絶えずに、国境に近い村や町は戦火に巻きこまれているのだと。
 大戦の頃のように、親を失って泣く子供が、家を失って震える人がいるのだと。

 そして、その数日後に、兄は帝都へと旅立った。
 故郷の地に吹きぬける風のような、爽やかな笑顔を残して。




 * * *




 ・・・・ぴしゃんっ。

 頬に当たる冷たい雫に、ふと正気に返る。

 血にまみれた体を水で清めている最中だった。
 いつの間にか、思い出を辿っていたらしい。

 体は鉛のような重さだったけれど、傷は一晩の休息で僅かながら癒えていた。こういうときに魔獣族の回復力は重宝する。
 けれど、潰された右目はそうはいかない。
 鈍い痛みを訴え続ける右眼窩を携帯していた包帯で覆い、治りきっていない切り傷も軽く応急処置を施す。
 体の傷はこうしている間にも少しずつ癒えている。
 けれど、失った者は帰らず。

 水面に映る自分は、やっぱり独りきりだった。

「考えない…考えるな…」

 ばしゃん!

 心細そうな、情けない顔を映した水面を殴りつけると、空も木も自分もぐちゃぐちゃになって消える。
 水面の影とは裏腹に、心が静かに落ち着いていくのを確認して朝一番に拾い集めたナイフを引き抜くと、それは血の匂いもぬめりも残さずに青空をくっきりと反射した。

 研ぎ澄ました刃の先に見える木々の隙間には、木を組み合わせ、水際に転がっていた石を置いただけの粗末な墓。
 花は添えられていない。
 …否、まだ。

「待っていて。必ず、あの男の首を」

 華を、添えるから。




 * * *




 身支度を整えて、微かに残る男の気配を追っていく。
 魔獣族の鋭い嗅覚には分かる、大量の血の匂いとそれに混じる異種族の匂い。
 ほぼ一日が経とうとしていても分かるほど残っているのだから、相手も移動するだけで精一杯だったということだ。

(体力の回復、追跡能力、どちらもこちらが上手…  逃がさない)

 縫うようにして森を抜けると、細い街道に出くわした。
 そのまま、男の足跡は街道に沿って進んでいく。

「!…まさか…」

 はっとして、小高い丘を駆け上がり、眼下を見下ろす。

「…ちぃっ…。街か…っ」

 足下には夕焼けに染まる人族の街。
 血臭を微かに纏った足跡は、まっすぐにその街へと向いていた。

(やっかいだ…匂いが消される……)

 男が追跡を振り切るために街に入ったのかは分からないが、人混みに混ざられてしまったら遠距離からの追跡は難しい。
 微かな男の匂いなど、あっという間に掻き消されてしまうだろう。

(どうする…とりあえず中に……)

 門は通らない。この周辺の街々は異種族に対して風当たりが良くないと聞いていた。
 魔獣族である自分は普通に入ろうとしても追い返されるだろうし、今は変装する余裕もない。
 男が町にいることは確実なのだから、と、手近な塀に飛び乗り、人が居ないのを確認して静かに街の路地裏へと侵入する。
 それなりに高い塀を越える際に、まだ塞がっていない傷がずきりと痛んだ。
 思わず眉をひそめてから、ふと思う。

「…あいつはどうやって入ったんだろう。何も言わなければ、人とあまり外見は変わらないだろうけれど…」

 血だらけのはず。

「…魔物に襲われたとでもして、どこかで治療を受けている可能性はあるな…まずは当たってみるか」

 人と偽っている可能性はかなり高い。
 こちらも下手に暴れて面倒ごとを増やすつもりはないから、見つけ出して、速やかに終わらせよう。

 夕市の喧騒がこの寂れた路地にまで聞こえてくる。
 特徴的なその獣耳だけを隠したフードの奥で、ギラリとハシバミ色の瞳を細め、のどかな街の風景にユレンは何食わぬ顔で同化した。




 * * *




「……カース・イルセル…か?」

 時は遡り。

 藤色の髪を夕日に染めて、青年は旅荷物をもち、白衣を羽織ると待機していた宿から町へと飛び出した。
 彼の待ち人の気配が、数分前に彼の感覚範囲内に現れたからだ。

 彼、シフォン・フォルテはあまり「追跡」は得意ではなかったが、必死でそれを辿り、慣れない町の路地を縫う。
 どうしても、受け取らなければならない「情報」があった。
 そして、彼は待ち人が追い詰められていることも知っていた。

「結界か…? 追われているのか…?」

 けれど、半ばまで追ったところで待ち人の気配はプツリと消えてしまったのだ。
 唐突過ぎるそれは、間違いなく「結界」で姿を隠したものだ。
 何かから逃げるため、隠れるために待ち人が作ったそれは、都合の悪いことに、シフォンからも彼の居場所を見えなくさせた。
 勘を頼りに歩き回るものの、綺麗に隠されてしまってシフォンから待ち人を見つける手立ては無い。

「…結界が持続しているということは、無事で居るということだから…。…向こうからのコンタクトを待つか…」

 ため息とともに、ふと周りを見回して、気がつく。

「………………………………えっと、    ………………ここは何処だろう…?」

 周りは、見慣れない、そして何処かで見たような寂れた路地ばかり。




 我武者羅に歩き回りなんとか抜け出した路地の先に、噴水の音。
 西日に目を細めながら近づくと、その先は小さな公園だった。
 町の居住地の間にひっそり作られた、綺麗に芝生を植えられたそこに何かに惹かれるように歩み入る。

(あ、人だ)

 少しはなれた芝生に、寝転がる人影を見つける。
 ちょうど良い、宿の近い中央広場までの道を聞こうと思い立ち、眠っているのか休んでいるのか、こちらに気がつかないその人に近づく。

 顔が確認できるほどに近づいて、それが少年だと気がついた。頭のそばに買い物袋のようなものを放り出して、考え事をしているのかぼーっと空を見上げている。
 少しだけ気が引けたものの、彼以外に周囲に人影は無い。

 意を決して、シフォンはその少年に道を聞く事にした。

「あのー…」

「えっ、あ、はぃ?」

 シフォンの気配にまったく気が付いていなかっただろう少年は、声に驚いたように飛び起きた。
 黒髪に、組み合わせとしては少し珍しい翡翠色の目が不思議そうにこちらを見詰めている。

「やーごめんね、気持ち良さそうな所邪魔をして…。実は道に迷ってね……………」




 * * *




 銀髪の魔獣族の少女は、闇夜を彷徨いながら仇を探し、
 茶髪の精霊族の兵士は、傷ついた体を休めて、細い路地の隅で眠る。

 紫の髪の医者は、闇夜に染まる窓を見上げて祈り、
 深海青の瞳の旅人は、過去の約束を果たすために。

 黒髪の少年は、見ぬ過去へと思いを馳せて。


 それぞれの思惑を内包して、夜は過ぎ、

 そして、 運命の朝が来る。




 * * *




「………血生臭い」


 ざわざわと多くの人で賑わい始めた朝の市場で。
 ふと香ったその匂いに、旅人は深く被ったフードごしに人波を伺った。
 深海青の瞳が数秒さまよったものの、該当するものは見つからなかったらしい。

「どうしたんだい?お客さん」

 ふいに背後を気にする旅人に、果物屋の店主が不思議そうに声をかけた。
 それに応え、走らせていた緊張を軽く隠した彼は、先ほどまでと同じように店先に並んだ果物を物色しだした。

「なんでもない。 ……リスの実と、干しリツルを二袋くれないか」
「はいよ!毎度あり〜」

 オレンジ色の果物1つ、紙袋を二つ受け取り銅貨を数枚返して、旅人は店を後にする。
 しかし、数歩歩いた先でぴたりと立ち止まってしまい、そしてすいと空を見上げた。

「……雨の気配か…」

 小さく小さく呟く声は、喧騒にまぎれて消える。

 物語が交わる時が迫っていた。


 まだ、空は青く、迫る雨雲の影は無い。




 * * *




 路地裏で力尽き、その場に結界だけを張って体を休めていた男のもとに、少年がやってくる。
 それは偶然。
 それだけは本当に偶然と呼んでもよかったのだ。悲しいまでの。

 シフォンも、そして町で男を探すユレンにも感知できなかった精密な結界を、彼は「透視」して。


「だ、大丈夫ですか!?」


 近づき、「二つ」の「結界」は接触した。
 二重交差して空間が隔離される事は無く、力の強い「結界」に、弱い「結界」は破壊される。




 * * *




「――――――!!!!」

 見つけた!!!!


 それは一瞬だった。

 病院、そして教会と当たったものの、そのどちらにも昨日今日搬送された怪我人は居なかった。
 あてが外れ町を虱潰しに歩き回るしかなかったユレンは、唐突に、一瞬だけ放たれた、「ターゲット」の気配を捉えた。
 それは、片時も気を抜かずに男の気配を探り続けた彼女にしか捕らえられない、そんなごく僅かな間だけ。

 すぐに、また先ほどまでと同じように掻き消す様に消えてしまったが、ユレンにとってはそれだけでも十分だった。
 最大限に研ぎ澄まされた感覚でもって、男の場所を割り出し、路地を疾走する。

 たどり着いたときに、その「場所」に男の姿は無かったが、路地に残された血の跡があれば追跡は容易だった。
 そこから何処かへと続いていく、血の匂い。


「追いついた……」


 走る間にフードが取れ、どこかで自分を見て叫ぶ人間が居たが、もうそれほど時間は必要ないので捨て置く。
 匂いの先に見覚えがあった。
 ……教会だ。

「すれ違いか。こんなところでもたもたしていたとはな」

 血痕を指でなぞると、まだぬるりと生暖かく。
 自然こぼれる笑みに唇を歪めて。

「それでも、運はこちらにあるようだ。 カース・イルセル…っ!」


 偶然と必然に支配された世界で、魔獣族の少女は、男を、追う。


月の無い夜に・6へ続く

■戻る■