暗闇の中で たしかにその場所にあったものを
いったいどれほどの間 見失っていたんだろう?



灯火 ・ 1




『助けなくて良かった!!』




言葉というものはとても厄介なものだ。
一度この口からこぼれたら、無かった事にすることは出来ない。
相手に届いた瞬間からそれは自分自身の手を離れて、相手の中に残り続ける。たとえそれは嘘だと、本当では無いと何度重ねたところで、見えないものを打ち消すことなんて出来はしない。打ち消すことが出来たかどうかなんて、分かりはしない。

私は伝える術を失ってしまう。

一度手酷い言葉を放ったこの口から出る、どんな謝罪も、相手に届いているのか分からなくなってしまったから。
少しの時を置いて、相手は小さく言った。


『姉さんは悪くないよ』 。



 * * * 



優しい義父母が帰らなかったその次の日に、あわただしく葬儀が行われた。
私はまだ幼かったから、形式的なことは執事のシルバーグが代行した。黒の棺を包むようにして、私は物言わない列に混ざり、いつも温かな日の当たる町の共同墓地へと進む。谷の斜面沿いに作られたその場所は天気が良ければ温かな日差しがいつも満ちていて、春になれば小花が咲き乱れる優しい場所だった。
けれどその日はほんの少し天気が悪くて、ぐずるような曇り空はいつもの青を覗かせない。
列席者の抱えた白い花々が、肌寒い風に煽られてちらちらと白い花弁を散らす。その様子がまるで早い雪の様だと私はぼうっと考えていた。
すすり泣く声を背景にして、掘られた穴に両親の棺が隠れていくのを見て、私は漸く涙が込み上げてきた。視覚的に、これが最後だと理解できたんだろうと思う。
『事故』から体調を崩したままのメルファは、祈りの列には混ざらずに、埋葬のときにだけ葬儀に参加していた。
穴の淵で泣きじゃくる私とは対照的に、小さな少年は嗚咽をこらえてずっと静かに立っていたそうだ。
終始何も話さなかった彼の当時の心情は、私には分からない。

その後1年ほど、メルファは自室に閉じこもって食事さえ自室でとるようになった。外部との接触を殆ど絶ってしまったのだ。
心配した知り合いやメイドたちが尋ねても、顔を合わせればまだいいほうで、大抵はまったくの無言。
業を煮やして部屋に押し入ったこともあった。結果は、部屋中に吹き荒れる風の壁に、本人に触れることはおろか、近づくことさえ出来なかった。優秀な魔導家系ロプロットの血筋は、確かに彼にも受け継がれていたのだ。
強固な拒絶になす術もなく、私はただ閉ざされた扉が開くのを待つしかなった。





* * *




温かな日差しが降り注ぐ中庭に、紅茶と焼き菓子の甘い香り。
専属の庭師が丁寧に世話をする庭園は、タータルナの公爵位に相応しい美しさを誇る。その庭を眺めるのに丁度いい位置に作られたテラスが、最近にしては珍しい華やいだ空気に満ちている。

「本当に美しい庭ですわ。あそこに咲く薄紅の花なんかは、私は初めて見ます。なんという花なのですか?」
上品に着飾った少女の、軽やかな笑みに乗せられた問いに、紅茶を注ぐ手を止めてミュアは示された庭の一角を見た。
「あれはユメムクゲという花です。主にオパーサの南部に自生する花ですが、白色種の種は痛み止めの効果のある薬草でもあるんですわ。残念ながらあれは桃色種ですので、花を楽しむことしか出来ませんけれども…」
「ミュア様はお花にお詳しいのね」
「草木と触れ合うのが好きなんですの」
笑んで返し、入れ終えた紅茶の華奢なカップソーサーを客人のヒト族(ビギナン)少女へと差し出した。

「お父様のお話はまだ終わらないのかしら?」

受け取った少女は一度紅茶に唇をつけてから、屋敷を振り返って呟く。その視線を追って、ミュアも己が過ごす館、現在少女の父親と執事のシルバーグが居るだろう応接間の辺りを眺めた。

少女はエリザベス・カストロ。タータルナの街では一番に有力な人族侯爵家の令嬢だった。健康的な肌色に艶の良い茶色の髪。人族の首都で流行だという肩の辺りで短く揃えた髪には、ミュアの知らない硝子細工の飾りをいくつか付けていた。
細かな細工が美しいとお茶会の最初の頃に誉めたのだが、少女から見るとミュアの光を透かす金色の髪の方が素敵だと言う。
精霊族の方は、飾らなくても綺麗だから羨ましい。と。
…そんな風に外見を誉められたことは初めてであったけれど、ミュアはそれを素直に喜びたいという気持ちには余りなれなかった。

「難しいお話ですから…。 良かったらこちらの焼き菓子もどうぞ。メイドたちがエリー様がいらっしゃると知って、腕を振るったものですので」
「まぁ、美味しそう! 頂くわ」

メイドが置いていった盆の上から、焼き菓子の皿を白いテーブルの上少女の方へと動かす。
その色鮮やかで食欲を誘う見目に、エリザベスは手を叩いて喜んだ。

「そういえばミュア様? 弟君様は今日はいらっしゃらないのですか?」

焼き菓子に手を伸ばしながらのふいの言葉に、ミュアの手は止まってしまっていた。

「お話を伺っていましたの。とても仲が宜しいご姉弟でいらっしゃるって。」


「…メルファは、体調が余り良くないんです。部屋で休んでいるの…。折角いらしてくださったのに、挨拶もさせずごめんなさい」


今、自分は妙な顔はしなかっただろうか?

嘘ではない。
あれ以来部屋に閉じこもりのメルファだけれど、まったく顔を合わさないわけではないのだ。
最初の完全拒否の様子は、数日でその激しさはなくなって、魔法を使ってまで追い出すという行為はしなくなった。
けれど他人にを拒絶するの様子、部屋に閉じ篭ることは直らず、最低限以外は部屋で過ごす時間のほうが断然に長い。
なるべく食事はミュアが運んでいたし、時々気分が少し晴れるときもあるのか、そんな時は尋ねるついでに二言三言喋る時もあった。

ずっと部屋に閉じ篭っている所為だろうか。
もともと色白だったけれど、カーテンを掛けられて薄暗い部屋の中では、包帯の覆っていない右頬がいっそう青白い気がして。



「そうですの…。残念ですわ」

動揺は顔に出てはいなかったらしい。
少女はその可愛らしい唇を尖らせて少しだけ不満の意を表した後、焼き菓子を頬張った。すぐに気持ちを切り替えたのか、人懐こい笑みで別の話題へと移る。
その少女らしい天真爛漫な様を、ミュアは少しだけ羨ましく思った。




 * * *




それから程なくして、エリザベスの父、レオルド・カストロ侯爵とシルバーグの話し合いは終わった。
両親が亡くなり、暫くはシルバーグの補佐の元、体調の優れないとするメルファの代わりに私が名ばかりの街の執政者ではあったけれど、そんな形でずっと居るわけにはいかない。
何度かの書面上でのやり取りの後、本日をもって街の運営権はカストロ侯爵が代行する事になった。
私、あるいはメルファが街の執政を行うだけに相応しい経験と年齢に至るまで、風の街タータルナの運営は人族に任せられることになったのだ。



客人の去ったテラスが妙に寂しげで、メイドたちが茶器セットを片付けるのを労った後に、ミュアは特に目的もなくぼんやりと中庭を歩いていた。
世界は春を終えて、命を燃やす夏へと移ろうとしている。視界にうつる緑の生き生きとした様に、目を細めた。
少し意識を澄ませて見れば、小さな精霊たちが舞うような勢いで飛び交うのが見える。このタータルナの地はもともと豊かな大地の力を持っているから、精霊の数も多い。
なかでも一番に力を持つのは、薄いの蜻蛉(カゲロウ)のような羽を持った蝶のような…風の属性を持った精霊たち。溢れんばかりに空に遊ぶ。
ミュアには呼びかけることの出来ない彼らだけれど、あまりに楽しげだから思わず目で追うと、ふいに方向を変えて羽を羽ばたかせていく。
「?」
不思議に思って視線で追う。軌跡の先に捉えた光景に、ミュアのハシバミ色の瞳が大きく瞬いた。


…珍しい…


少し離れた二階の窓が開いていた。
過ごし慣れた屋敷のその位置はすぐに分かる。二階の角、南と東の日の光を沢山に取り入れる、広大な庭の緑を入れつつ中庭からは少しだけ逸らされたその場所は、部屋の持ち主が少しでも過ごし易いようにと配慮が凝らされているのに、…ずっと光を遮るカーテンに隠されていた場所。
小さく出たテラスのふちに肘を預けて、少年が明るい光の下で指先に精霊を遊ばせている。

どんな変化なんだろう? 何があったんだろう?

暖かい光の下で見る横顔には、部屋で見る時の陰の様なものを感じなくて…嬉しくなる。やっぱり、あの部屋に閉じ篭るのは良くない。
二重三重の結界に守られた彼の部屋が、彼の身体にとって一番負担のない場所だとは分かるのだけれど…。
けれど同時に、唐突な行動に不安にもなる。
声を掛けたい。心に変化があったのか確かめたい。 …けれど、雰囲気を壊すのが怖い。

もしも、声を掛けてまた部屋に戻ってしまったらどうしよう?
もしも、…



結局ミュアは、小さく笑んで、その光景からそっと身を翻した。
メルファには自分は見えては居ないから、この行動には意味は無いけれど、気持ちの問題だ。弟の変化、あるいは努力の様子を、盗み見てしまったような少しの罪悪感を感じたから。
…もしかしたら、自分が知らないだけでもう何度もああやって少しずつ、外の世界を向いていたのかも知れない。
少しずつ、…元に戻っていくのかもしれない。優しかった日々のあの頃に。

私も、何か…、弟のために、出来ることを。





ミュアがそうして静かに背を向けた後を、木々の向こうに歩き去る様子を、少年の目が確かに追っていたことを彼女は知らない。

彼女が、小さく微笑んでから背を向けたことも、…少年は知らない。





溝が開いていく。




 * * *






その後唐突に。

メルファは休んでいた家庭教師の勉強を再会して、多少ぎこちなくではあるけれど喋って、笑うようになった。
周りはその変化に喜んだけれど、私は状況がより悪化していることに気が付いた。
笑っていたけれど、それが決して心の底からでは無いことが私には分かってしまったから。


あの日出来上がった彼と私の間の溝は、時間が解決なんてしてくれなかった。
時と共にどんどんと広がり続けて、ついには私には手も足も出ない、透明な壁になってしまっている。


その頃の気持ちを何て表現すればいいのか良く分からない。
焦り?あるいは怯え、あるいは怒り。
ある種逃げるような気持ちで、私は悩んだ。
メルが笑う。笑って話す。何も無いように、普通であるように話す。
…違う、違う、違う。
どうして周りは分からない? あんなに、苦しそうなのに。 何故、仲が良くていいと言うの?
私達は、『仲の良い姉弟』を演じているだけだ。外に向けて保っているだけ。今にも崩れてしまう。
間には何も無い。何も届かない。何も分からない。

私は唐突にこう感じた。
……本当は責めているんだろうか?

…違う。それは私の弱音だ。あの子は言った。私は悪くないんだ、と。
そんなわけ無いのに。本当はこう言うべきだったのだ。

なぜ、ひとりで悩ませて、姉さんは何もしてくれなかったの? と。






……………。






…だから私は、手に入れるしかないと、思ったのだ。
これは私にとって、弟に対する『償い』と、姉であることの『証明』なのだ。




精霊の声を失う事は、恐ろしくはあった。それでも、それは私にとっては必要な犠牲。
私は数多の古の声よりも、ただ一人の家族の『本当の』声を聞きたかった。




無くしたくない 笑って欲しい
…どこにもいかないで




>> 2へ続く >>


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