【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・10 】





 刃が繊細な魔法具を砕いた瞬間、きんと涼やかな波紋が広がり、遠くへ広がっていく感覚が身体を突き抜けた。



 恐らくそれが結界が壊れた合図。
 そして不意に、俺を締め上げ引きずり寄せて触手の力が失われ、俺は地面に足をつく。幾本もの足を失った奴は急に怯えるように暗闇の奥へとその巨体を沈めた。そのまま洞へと姿を消し、気配を消してしまう。
 その突然の変わり身は、もしかすると奴もまた魔法具に捕らわれていたのかもしれないと思わせた。

「レイ君……!」
「とんでもない無茶をするな……」

 床に降りた俺の所へ、メルとイーザが駆け寄ってくる。
 ひとりは心配で半ば怒っていて、もう一人は完全に呆れ顔。対照的なふたりだ。
 イーザはまだ片目を手で覆っているけれど、開いた方を見る限り大事にはなってないようだ。

「一か八かだったけれど、もう時間が無いと思って……。あれなら絶対オルゴールに手が届くからさ」

 怒られるのは予想していたから、剣をしまいながらなんとか笑顔でごまかす。

「もうやめてください……! 少しでも遅かったら今頃噛まれてたかもしれないんですよ……!?」
「うん、うん、ごめん……」

 勿論、そんな誤魔化しが通じるほど浅い付き合いではないけれど、なんとか怒る相手を宥めようと肩を叩こうとして、視界にふわふわと淡い光が舞った。
 心配高じて眉を吊り上げていたメルもその変化に気づいたようだ。自分の両手を見えない目の前にかざす。
 その掌は淡い光を帯びていて、時折儚く零れたそれはどこか蛍を連想させる。

「戻るんだね」
「……そうみたいです」

 この様子なら、他の住人達も無事に解放されはじめているだろう。
 どうやら無事目的を果たせた。ほっと息をついた、その時だ。

 がりがりと、身体を震わせる鈍い音が響いた。

 触手との闘争で荒れて壊れかけた船底から、一際大量の泡の塊が上がり、ぼこぼことした気泡となって上に立ち昇る。
 戦闘ですっかり忘れていた、沈み続ける船の振動だ。

「…と、止まってない……?」

 俺もイーザも、メルも、周囲を見渡す。
 間違いなく、その不気味な振動音は続いていた。

 その事実に気づいた直後、みしり、と、一際嫌な音を立てて船底がたわむ。

 すでに限界まで脆くなっていた木の床が一斉に歪み、傷んでいる場所からひび割れができていく。
 斬り落とされ動きを止めた重い触手がひび割れに沈んでいき、立ち昇る泥の煙から逃げるように小魚たちが泳ぎ去る。吹き抜けの上空から、泡をまとった瓦礫がばらばらと落ちてきた。

「……上がるぞ!」

 穏やかに別れなんてしてる場合ではなかった。
 鋭い声に、俺は瓦礫を避けて上へ泳ぎ出そうとした。


「レイ君、イーザさん、ありがとうございました」


 ふいに響いた声に振り返ると、全身に光が及んだメルが笑んで片手を差し出していた。見送るような、惜しむような、そんな仕草。
 そうだ。これ以上は、一緒には行けない。
 

「必ず迎えに行きますから」
「うん!」


 強い言葉に、俺は頷いて差し出された白い手を最後に握ろうとしたけれど、手が届く前に光が砕けて彼は消えてしまった。

 大丈夫。無事に身体に還れたはずだ。
 だから今は、

「ぐずぐずするな。溺れるぞ!」
「わかってる…!」

 俺は先を行く青年の背を追って、崩れそうな床を蹴り、水上に向かって泳ぎ出す。


 今は、ここから逃れて安全な場所を探すんだ。
 俺たちは死地を訪れたわけじゃない。
 大切な友人と捕らわれた人たちを開放し、再会するために来たのだ。
 だから絶対に、諦めない。




 いつの間にか浸水が進んでいたのか、甲板に向かうのに来た時の何倍も、何層分もの高さを通りすぎる。
 その間にも、崩れた瓦礫がいくつも沈んできては、白い泡が頬を掠めていく。
 降り落ちてくる残骸は止まる様子が無かった。

 これだけあちこち傷んだ挙句に、船の中央にこんな大穴が開いた状態でよくも嵐の海を浮いていたものだ。
 もしかすると、あの日乗員全て飲み込んだだろう魔法具の力で支えられていたのかもしれない。
 だとすると、このまま甲板まで上がったとしても、主を失ったこの船はもういくらももたないのかもしれなかった。

(でも、諦めるわけには…っ)

 泳ぎ続ける疲れに息をしようとして、口に塩辛い海水が入り込む。魔法が完全に途切れたと気付いた。慌てて息を止める。
 水面は目前で、蒼白い網目に向かい、必死で水を蹴った。
 時折前を行くイーザが瓦礫を弾いてくれていたけれど、その軌跡を追う余裕もない。
 ただひたすらに、上へ上へ、上へ、と!

 限界で口を開けてしますギリギリで、最後のひと掻きをを終えて顔が水面に飛び出した。耳元で飛び散る飛沫の激しい音がし、俺は新鮮な空気を肺一杯に送り込む。

「―ッ げほっ…ごほっ… ま、間に合っ…ッ」

 激しい咳が喉に絡み、酸欠の脳に頭痛がする。けれど、息は出来ている。
 隣の水面に顔を出していたイーザも、数度の咳込みの後ぜえぜえと荒い息をついていた。限界ギリギリまで魔法力を使い切ったんだろう。酷く消耗している様子だ。
 やっと酸素の周り始めた視界でぐるりと上空を見上げる。

 その空は、中心の一点を蒼く残し、周囲一体は暑い灰色の雲で覆われていた。動きは早く、ぐるぐると渦を巻いている。
 ぽつぽつと飛沫ではない水滴が周囲を叩き、激しい風と船底からの振動に煽られて、折れた瓦礫が時折激しい飛沫をあげて沈んでいった。

「これは…」
「どうやら、歪み再発だな」

 魔法具の解除で歪みまで霧散するなんて、そんな甘いことはなかったらしい。
 空の灰色はどんどんと色を増し、渦はまさに、主を失った『幽霊船の残骸』を飲み込もうとしていた。






  ◆ ◆ ◆






 懇々と眠り続ける患者たちの脈をはかり、その顔色を確かめて記録していく。
 今日も何度目かの確認の後、紙のカルテに結果を書き込んでシフォン・フォルテはため息をついた。

 眠ったままの患者たちの様子に変化は無い。
 今はもう、レイ君たちの教えてくれた『幽霊船』の捜索結果を待つしかなかった。

 壁で静かな時を告げる大時計を見上げると、午後に入るところだった。
 夏の太陽はちょうど天頂を横切ったところか。細長い窓に掛かった白い日除けが和らげるとはいえ、外の日差しは強さを増している。
 今日もじりじりと暑い一日になるだろう。
 捜索に駆け回っている騎士団員や自警団の人々が、今度はこの海際の街特有の酷暑に倒れないよう祈るばかりだ。

 少し自分も休憩を取ろうと、立ち上がったその時だ。

「先生!」

 端のベッドの方で上がった看護師の声に、私はまずそちらを振り返った。
 彼女の驚く声に、まさか急変した患者でも出たのかと、寝台の隙間を避けて足早に進むと、彼女の声が悪い意味の緊迫ではなく、良いものだという事に気が付いた。
 彼女の腕が支えた街の子供が、半身をベッドに起き上がらせている。今深い眠りから覚めたように、目を擦りながら!

「…これは、まさか……」

 その声を合図に、他の寝台でも眠っていた者たちが声を上げたり、寝返りを打ったりしはじめ、どこか時を止めたようだった病室内がざわめきだす。
 看護師たちが慌てて近場の患者から様子を確かめる。
 突然の一斉の目覚めに、慌しい中で、私は何がどうなったのか判らなかった。

 目覚めたという事は、魔法具が破壊されたという事なんだろうが、まだ騎士団からはなんの連絡も無い。発見の連絡すらなかった。
 自警団からの連絡なら遅れるかもしれないだろうけれど、その場合でも何らかの報せはあるはずだ。

「一体どうして……」

 はっとして、一番最近並べられた寝台を振り返った。

 そこに眠っていた金髪の少年は未だ眠っていたけれど、多少の時差があるだけだろう。恐らく今この場で一番『何が起こったのか』説明できるのは彼だけだ。
 もしかすると、彼が内側からの解除に成功したのかもしれない。
 ……もちろん、方法によっては……そんな嫌な予感が襲い、人で一気にごった返し始めた室内を横切り、まだ静かなままのベッドに近づいた。

 点滴をさしていた腕をとって脈を確認しようとした直後だ。
 他の患者たちと同じように、深い眠りから目覚めたようなややゆっくりとした覚醒で両目が開いた。
 よく見知っている金茶の目と、あまり晒されないオリーブグリーンの目。
 一度ぼんやりと開いた後に、一度瞬きをすると、彼はその場で勢いよく飛び起きた。いつもおっとりとした静かな所作をしているから、私は思わずのけぞる。もし顔色を診ようと覗き込んでいたら、頭突きされていたかもしれない。

「メ、メルファ君、よかった、目が覚めて。周りも目覚めたので驚いていたんです、一体何が」
「助けに行かないと……!」

 重なった言葉は色々とはしょり過ぎていて、何がなんだか判らない。なんとなく、彼がひとりで解決したわけではなく、何か別の要因で解放されたのはわかったものの。
 そこで、自分の右手が診察で握られていることと、刺さっている点滴の針に気付いたのか、空いた左手で引き抜こうとしたので慌てて止める。

 そうだった、この子は表面上とても大人しそうに見えるけれど、一度決めるとやる事がとても潔い。そして割と短気だ。

「待って、危ないですちゃんと抜きますから。それに半日以上魔法の影響で眠っていたんですよ、体調は大丈夫ですか? それに、何があったんですか、君ならちゃんと説明できるでしょう?」

 しっかりと固定してあった針を少しだけ乱暴な所作で抜いてあげると、痛みで小さく顔をしかめた。自分でやろうとした事を少しは自覚してくれただろうか。
 痛みで少し冷静になったのか、一度開いた唇がいったん閉じ、そして再び開いた。
 飛び出てきた言葉は、大いに驚くべき内容で、でも同時に、だから彼は飛び起きてあんなに取り乱したんだと心底から納得がいった。

「――『幽霊船』に、レイ君とイーザさんが乗っているんです。彼らが魔法具を破壊しました。
 でも、船が沈みかけているんです…すぐに助けに行かないと……!」





  ◆ ◆ ◆






 耳鳴りのような、精霊の悲鳴が増して、耳を侵す。



 元々老朽化で壊れかけていたものが、今は『残骸』という言葉にふさわしい姿に進行形で壊れ始めていた。
 船がどういう風に沈むものかよく知らないけれど、真ん中の大穴が致命的だったのはやはり間違いないようで、中心から徐々に斜めに凹んでいく。
 折れた残骸を伝って甲板まで上がった俺とイーザは、船首側に居た。

 みしみしやらぎしぎしやら、嫌な音を立てて中央から無くなっていく甲板を背後に、なるべく高い場所を目指す。
 精霊の上げる声に視界が歪む。正にこの真下に居るらしく、足元から鳴る音が不協和音のようだ。硝子を擦るような不快な音で時折足元がおぼつかなくなり、慌てて軋む欄干に捕まった。

(ぐらぐらして吐きそう……。船酔いにはならなかったのに……)

 前で安全な道を確認している背中は何も言わないけれど、属性のあってるイーザはもっと辛いのかもしれない。
 眼下の海を確認すると、あの黒い渦がぐるぐると船の周りを囲っていた。
 嵐は以前見たほどの激しさではないけれど、横殴りの雨が顔を叩き、海水を吸って重い外套をはためかせる位の威力はある。

「……あれに巻き込まれたら死ぬよね、流石に」
「………」

 渦に破壊された瓦礫が、ぐるぐると回りながら沈んでいくのが見える。
 あの勢いで水に吸い込まれたら泳げなくて溺れるだろうけれど、さらに瓦礫に巻き込まれたら致命的だろう。

 無言の彼と、さらに船首の端の方、今は一番高い位置になっている場所へ移動する。完全にただの時間稼ぎだけれども、あの渦にみすみす落ちるわけにもいかない。

「こっちのほうなら、渦の外に近いし、飛び込んだらいけると思う?」
「いや……ましに見えても流れがある。それに、高すぎる」

 ですよねー。
 イーザも俺も特別泳ぎが得意なわけじゃない。残念ながら陸の住人だ。
 俺よりも属性的にイーザは…とか考えたけれど、本人が何も言わないんだから違うのかもしれない。ちらっと船の側面を確認したけれど、避難用のボートなどは見当たらなかった。きっと、とうの昔に崩れて無くなってしまったんだろう。

「最悪、ある程度の高さで飛び降りて外に向って泳ぐに賭けるしかないな。海水の温度は耐えられる。水は何とかしても、漂流は数時間が限度だが」
「メルが見つけてくれるよ。それまでもてば大丈夫」

 急角度になり始めた甲板を諦めて、船首の先、半ばから折れているバウスプリットに移動した。
 そこに絡まった古いロープの残骸に掴まる。船体全部から比べれば細いとはいえ、2人くらいなら余裕で支えてくれる。
 いよいよ、乗っていられる場所も少なくなってきた。

「…まだか?」

 イーザが低い舌打ちで、わずかに空いている空を見上げる。
  
 真ん中に空が残ってるということは、ここは嵐の真ん中なのだ。
 あの幽霊船の起こしていた小さな嵐の塊。さらに外側から見れば、広い海上にぽつんとできた黒雲と霧の塊のようにみえている、はずだ。
 メルが絶対迎えにいくといっていたから、きっと見つけてくれる。

 そんな風に、青空を一緒に見ていたけれど、ふと、足下からの悲鳴に呼ばれたような、妙に気が引き寄せられた。
 足下は残り十数メートルまで迫った残りの甲板が、沈みながら少しずつ壊れていく。
 元々中央のあった大穴の部分はすっかり雲の色を移した灰色の渦になり、ただ黒い黒い穴が広がっていた。鳥肌の立つ風景に思わず再度目を逸らしそうになったけれど、その奥底にチカリと赤い光を見た。

「……?」

 波の反射にしては紅い。廃船の残骸にしては、同じ場所で小さく輝いている。
 黒い渦の奥の奥で小さく光るそれに目を凝らしていたら、不意に脳を揺らすだけ揺らして言葉になっていなかった悲鳴が、『言葉』になった。


― ここから 解放して 


 多分、あのオルゴールに閉じ込められた『想い』を見ていなかったら、俺にもわからなかったかもしれない。

 閃くように正体に思い至って(あるいは、俺にわかるように伝えられて)、俺はとっさに奥歯を噛んで覚悟を決めた。

 この船の底……いや、この海の底に、もうひとつ、解放しなきゃいけないものがあったんだ。
 淀んだ精霊がずっとずっと訴え続けているけれど、淀んだゆえに言葉にならない雑音になってしまった言葉を、このまま沈めてしまうわけにはいかない。
 このままいけば、歪み続けてやがて完全に俺達が理解できる言葉すら失い、近い将来場所をみつけた騎士団が封印処理をする。歪みが押さえ込まれて、安定という名の強制的な眠りへ。
 ちゃんと聞き取れたのだから、そんな結末にはさせない。絶対に。




 ――俺は大きく息を吸って、 渦の真ん中めがけて、飛び込んだ。






>> 11へつづく >>


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