願いが叶わないと知り この想いは泡となって消えた

 暗い水底にただ沈んでいく
 深い海の底 貝のように じっと殻に閉じ篭ったまま




【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・9 】





 辿り着いた最後の階段をくぐると、そこはただただ、蒼い世界だった。

 老朽化した船の船倉は、広い範囲で壁ごと壊れひとつの大きな空間となっており、最下層の船底まで大きな穴を開けて崩れ落ちている。
 浸水した海水の中、海藻や貝たちが色とりどりに覆う船底には、薄蒼い大きな光の帯がゆらゆらと波の網を描いていた。
 見上げると、船上部の甲板まで全ての天井が失われて大穴が開き、そこからまっすぐに陽の光が落ちている。
 ぼろぼろに崩れたマストが一本、何かのオブジェのように斜めに横たわり、泡と光の粒に遊ぶように、小さな魚の影が舞っている。
 
 そこは例えるなら、船の中に出来た巨大な水の舞台<ビューネ>だった。

 その水と光の美しさに、しばし言葉を失っていたけれど、一歩前にいたイーザが剣を抜いた音で我に返る。
 砂鼠色の外套が水の動きでふわりと広がり、小さな気泡が動きに合わせて上がっていく。
 倣って、俺も剣を抜いた。水の纏う体中には少し違和感があるけれど、握った鋼鉄の重さは変わらず少しだけ安心する。

 今、イーザは常時魔法を使っている状態だし、俺も水中だからほぼ炎は使えない。
 メルも恐らく魔法は難しいから、頼れるのは手の中の武器だけだ。
 鋭い蒼眼の視線を追って、朽ちた舞台のさらに奥の暗がりに目を凝らす。何か大きな影が蠢いている。そう認識した直後に、相手もこちらの存在に気付いたようだ。ずるりと船底を擦る音と、舞い上がる細かな泡と泥煙。光の下に徐にその巨体を現した。

「……うぇ……何アレ……」

 ぬめるような赤黒い肌の大方は絡まりあう太く巨大な触手で、その内側の白っぽい肌に連なる丸い凹凸がある……似たような『足』をルクスブルクの市場で見たことがある。サイズは比べるべくも無いけれど。
 這い出してきたグロテスクなそれは、くにゃりとした細長い頭部の下、青白く輝く一対の丸い鏡のような目でこちらを見ていた。

「レイ君…?」 

 思わず尻込みした俺の様子に、隣の怪訝な声。うん、メルは見えて無くて正解だと思う。正直言ってとても気持ちが悪い。……あまり言うと、そっくりな小さい足を焼いたものを珍味だと面白がって食べた彼に悪いけれど。
 アレはなんといっただろうか……

「『イカ』だっけ…。それの大きいやつがいる。家くらいあるかも……」

 彼は目を丸くしている。俺も冗談だと思いたいよ……。でも、

「見ろ。あいつの足元」

 イーザの声に、示された巨大イカの足元を見てみると、何本かあるうちのひとつの触手が大切そうに小さなものを抱えていた。
 細かな金装飾が施された赤色の小箱。その鮮やかな装丁は、海の蒼と生白い肌の上でポツンと浮き輝いて見えた。
 さながら、童話の悪竜が宝を隠すかのように守っている。

「…! 魔法具の気配です。たぶん、それが結界要で間違いありません」

 メルまでそんな風に言うのだから、恐らくアレが魔法の元凶らしい。
 大きすぎるイカなのか魔物の一種なのか定かではないけれど、あれは魔法具を守る番人といったところだろうか。

「宝石箱…かな…」

 波の光にときおりキラキラと輝くそれは既に発動しているものだから、条件を満たしてしまったらメルと同じように取り込まれ捕まってしまう。
 その特徴を見つけなければ下手に近づけない。

「メルはどうして眠っちゃったんだっけ?」
「……はっきりとは……。精霊が散ってしまって何も見えなかったんです。ただ、音を聴いたような……」

 何とか記憶を辿ろうとしたのか、小首をかしげながら呟いたところで、彼は弾かれたように顔を上げた。

「耳を塞いで下さい!」
「――ッ」

 鋭い忠告よりも速く、イーザが剣を構えて一気に前に出た。
 水中を動いているとは思えない速度で刃を前に広間を跳ぶ。
 その動きに驚く俺の視界では、触手の先が意外と繊細な動きで箱の蓋を持ち上げたところだった。

「ッ」

 ポロン…と、どこかくすんだ甘い響きをもった音色が毀れた。
 水中であるけれど、魔力を帯びているからだろう。その音は小さいながらはっきりと耳に届く。
 あまり馴染みのないメロディーがゆっくりゆっくり紡がれだしたので、ようやく俺もその箱の正体に気が付いた。

(オルゴール…!)

 美しい箱が音色を楽しむためのもの、そしてつまり、【それ】が魔法の条件だと分かり、俺もイーザの後を追って脆い木の床を蹴った。
 蓋が開いてしまった以上、閉じなければこの音色は恐らく船の外まで届く。船の外でメルが倒れたのが証拠だ。幽霊船話についていた『歌声』はきっとこの音の事だったのだ。
 聴いた瞬間捕らわれたわけではないから、音色を一定時間浴びると魔法にかかる仕組みに違いない。恐らく一曲分、とか。
 どちらにせよ、あまり時間はない。

 真正面から箱までの最短距離を貫くイーザから途中で分かれて、俺は折れたマストの影をくぐり右側から回り込んだ。こういう時どうサポートするかは散々彼に叩き込まれている。
 飛び込んできた俺たちに気付いて、太い触手が薙ぎ払うように飛んで来た。
 正面から行くイーザの剣が白い軌跡を残して閃く。最初に1本、続けざまの2本を素早く斬り落とす。触手は斬られた後もしばらく蠢くのか、弾き飛ばされた先で泥を巻き上げながらのたうつ。
 けれど、間髪いれずにとんだ3本目に返しの刃が追いつかず、彼は伸びた先端を蹴り上げて避けると、斜め後ろに跳び距離を取った。

 水の抵抗で思うように動けない。
 全身に掛かるのは周囲の水圧だけじゃなくて、太い触手が掻く流れの勢いまで浴びる。陸とはまったく違う。

 敵の視線がイーザに向いている隙に、俺は死角であるマストの影から飛び出し、横から箱を狙う。
 間に合うかと思ったけれどそんなに甘くはなかった。

 俺の視界のさらに外側から、4本目の触手が飛んできた。
 勢いでかすった船倉の壁が砕けて、残骸と泥が激しく立ち込める。濁った視界の中で俺は何とか飛んできた触手を受けたものの、ぐなりとした弾力に刃が立たず、両足が床から離れた。
 あっと思う間もなく、そのままぐるりと上半身から腰まで回ってきたそれが、太い蛇のような動きで一気に締め上げてくる。

「…ぐ…ッ」

 みしっと肋骨周りが嫌な音を立てた。
 俺が捕まったのを見たイーザが、避けた動きから再度壁を蹴り俺を捉えた触手を狙うけれど、また別の1本がその動きを邪魔する。

(このバケモノ、一体何本触手があるんだ…!?)

 水圧を利用て器用に避けた彼がその1本を斬る間に、さらに別の2本を投げつけてくる。
 動き回る2本に追われる彼を横目に、なんとか斬り落としたくても、馬鹿なことに剣ごと巻込まれてままならなかった。
 その間にも触手はぎりぎりと締まり、肺から絞り出された空気がごぼりと頬をかすめた。
 息苦しさに眉をしかめた、瞬間、

「動かないで下さいね…!」

 斜め下から届いた鋭い声と共に、バシリと全身を走る音が響く。
 身体に回っていた触手が一度びくりと動き、少しだけ緩んだ。驚いて見下ろすと、ちょうど触手に触れる位置に手を伸ばし目を細めたメルがいた。

「ここですか?」

 その短い問いに、俺は大きくうなずく。

 直後、彼の周囲にバリバリと小さな雷が浮き上がる。魔力を帯びたそれは水中でも彼の手にあり、霧散することはない。
 青白い光を浴びた髪がふわりと舞い上がり、次の瞬間、何かが弾け破裂するような激しい音と大量の気泡が沸き上がる。
 俺は一気に緩んだ触手をすぐに振りほどき、今度こそ集中しその触手を斬り落とした。
 激しい電撃でショックを受けたそれは、転がり落ちた後も痙攣を起こしながら泥の海に落ちていった。

「ありがと……!」
「いえ、上手くいって良かった」

 見上げると、メルの電気ショックが効いたのか、相手は巨体を震わせていた。あちこちで泥が舞い上がり、動きで船体が軋む。
 その隙を逃さず、伸びていた触手を斬り落としたイーザが再び矢のような速さで敵の懐に飛び込もうとした。

 激しい音の中、オルゴールのゆっくりとした音色が流れ続けている。
 
 彼の剣が箱を貫く、そう思った直後に、宝を奪われそうだと察した相手が奇声を上げた、直後、

「!」

 ぶわりと海水に一気に広がった墨色の闇と、直後感じた目の痛みに俺は咄嗟に顔を背けて目を閉じる。

(なんだこれ…!?)
 
「イーザさん…! 横に避けてください…!」

 暗闇の中で届いたメルの悲鳴に、ひりひりとした視界をなんとかこじ開けた。
 一種の煙幕だったようで、すでに周囲の黒い水は霧散しはじめている。その視界の先で、奴の懐から青年が横向きに跳んで逃れる。
 寸前までいた場所を、新たな触手が床を砕く勢いで凪いだ。

 煙幕を浴びた俺の目はまだひりひりとした痛みを訴えているけれど、まともに浴びた彼はもっと被害が甚大なはずだ。
 横跳びからの、さらに距離を取る後方への移動の後、強い舌打ちをして顔の上半分を左手で覆っている。
 咄嗟に外套を引き上げたのか、砂鼠色だったそれが黒いシミになっていた。  
 
 触手を何本も落とされたうえ、手中の宝に手を出されそうになったせいか、相手が発狂したように暴れだす。
 縦横無尽に襲い掛かってくる残りの触手は4本。俺達を捕えようと滅茶苦茶に伸びてきて、周囲の壁や床を砕き、瓦礫が舞う。

 オルゴールの曲がすすんでいる。あとどれ位で終わってしまうんだろう?

 滅茶苦茶に飛んでくる触手は、動きは激しいけれど狙いは雑だ。相手が暴れて泥を巻き上げるせいで、逆に俺たちの位置が見えにくいようだった。
 その上怒り心頭なのか、俺達と間違えた瓦礫を締め上げるたび、目の下へ運んでは噛み砕いている。どうやら、地面ぎりぎりの位置に口があるらしい。
 大切な宝はその口元のすぐ近くでぎゅっと抱え込んでいる。

 壊すためには、どうしてもあの懐まで、もう一度飛び込む必要があった。



「……。……メル、もしかして少しアイツの触手見えてる?」

 メルの手を引いて触手の範囲から逃れて、落ちてきた瓦礫の陰に身を潜める。
 視線を飛ばすと、イーザも同じように柱の陰に隠れたようだった。まだ目を閉じているから、おそらく煙幕のショックがまだ抜けてなくて視界が利かないんだろう。
 曲の進みも気になるけれど、俺は少しずつ息が苦しくなっていることにも気づいた。

 さっき、あんな懐まで行ったのに煙幕を避けるだけで精いっぱいだったなんてちょっとらしくないと思ったんだ。
 多分、もうそろそろ彼の魔力が切れる。
 

「ええ、うっすらですが」

「じゃあ、俺が出ても大丈夫だね、あと頼むよ!」


 え? って怪訝そうな顔をしたけれど、もう説明してる時間もない。
 曲がいつ終わるかわからないし、息が切れて溺れるわけにもいかない。

 俺はほんの少し、4本の触手が遠くを向いて、奴の視界と俺の間にちょうど良く瓦礫が落ちるのを見計らって、一気に飛び出した。

 水の抵抗を必死で避けて、降り落ちる瓦礫を避けて、俺の足と反射速度でぎりぎり飛び込める位置まで進み、あいつの視界の真ん中へ躍り出た。

「レイ君!?」
「馬鹿…ッ」

 悲鳴と悪態が聞こえたけれど、俺を見つけたヤツ一気に触手を伸ばしてくる。
 俺は触手に腕を巻込まれないようにだけ避けた。
 腰回りに回ったそれが締め上げながら一気に引き寄せて、奴の目の下地面ぎりぎりの口元へ…

「俺はイーザみたいに飛び込む技量はないからね…っ」

 その直前に奴は宝物を抱えている。

 俺は今度は自由に動かせる剣を構え、宝物とすれ違う瞬間に、一気に切っ先を箱に振り下ろした。





 切っ先が、箱に触れた瞬間、薄い薄い結界に触れた。
 それは例えるなら卵の殻の様な、脆くて微かなものだった。








 目の前を一陣の風が吹き抜けた。



『僕は貴女を愛しているんだ。誰よりも!』



 ふいに聞こえた声とともに、視界が一気に変わった。

 幻の様などこか淡い風景のなか、遠くに青い海が見える。
 岬だろうか。柔らかな風が吹き抜けていく。

 草地に一組の男女が立っていた。
 一人は、一見してどこにでもいるような庶民風の男性。
 一人は、一目で造りがいいとわかるドレスを着た金の巻き毛の美しい女性。

 男性は小さな小箱を彼女に差し出した。
 女性のたおやかな手が一度箱を受け取って開いた後、静かに蓋を閉じた。

『何度こうして迫られても、どうしようもないのよ。私にはもう許婚がいるの。これはお返しするわ』

 彼の告白は退けられた。何度も繰り返しているのか、彼女の溜息は深い。
 返された小箱を、彼は受け取ろうとしなかった。

『でも、家が決めたものなんだろう? 君は言ったじゃないか、僕と結婚するって。一緒に家族になるって』
『いつの話をしているの? まるで小さな頃のことじゃない』


 二人は幼馴染のようだった。
 けれど、その気持ちは擦れ違う。


『それでも、君は許婚の事なんて微塵も愛していないんだろう!? それならいっそ二人で逃げて……』
『あなたはいつまでも子供みたいなことを言うのね。そんなだから駄目なのよ。私は大人になったの』

 彼女の緋を溶かしたような瞳が、悲しそうに歪んだ。


『昔の夢はお終い。私とあなたは生きてる世界が違っていた。
 小さな私は、それが分からなかったのよ。……ごめんなさい』


 女性の手がプレゼントを受け取るように促した。
 しかし、再度、彼は拒否した。


『……次の船で外国へ向かうんだ。
 もし君が家を出るっていうなら、そのまま向こうで降りてしまおうかと思ってるだ。
 知ってるかい、僕は外国語を学んでる。君一人くらい向こうで養ってみせる。
 明日の朝一番の出港なんだ。……待ってるよ』




 暗転する世界に、俺はなんとなく、この後の展開が分かって胸が痛んだ。




『君を愛してたんだ』




 暗闇に響いた別方向の声に、視線を動かす。

 薄暗い船内、簡素なベッドに腰かけ、男が膝顔を覆って俯いていた。
 彼は一人だった。


『君がいれば何でもできたんだ。身分違いなんて気にしてないって言ってたじゃないか。ずっと待ってるって言ってたじゃないか。
 許婚選びだってずっと断ってたじゃないか。僕を待っててくれたんじゃなかったのか?
 僕は待ってた。ずっと待ってたんだ……』




 再び暗転。

(あの人、来なかったんだ……)

 ぐっと胸が重苦しくなる。彼の気持ちはどんどん沈んでいく。期待していたものが得られ無かったことに、沈み、凝っていく。 



『………。本当なんだろうなぁ…あの呪術師…』


(…!!)

 次に現れた男の手の中に、あのオルゴールがあった。
 場所はやはり船の中で、彼は帰路についていた。

 やつれた風の彼は、その小箱をじっと見つめている。
 頬はこけて顔色は悪く、なのに目だけはギラギラと血走っていて、とても正気とは思えない。
 俺は思わずその手から魔法具を奪おうとしたけれど、すり抜けた。……これは魔法具にこびりついた様に残った彼の想いでしかないんだろう。

『この音色を聞かせれば彼女の心を取り戻せるんだな……。
 きっと君は、あの頃の思いを忘れてしまっただけなんだ……。これを聴けば思い出す……』

(…!!)

 青年の手が、不用意に蓋を開けた。

 あの船底で聞いたものよりはやや澄んだ音色がぽろぽろとこぼれ出す。
 懐かしい思い出に浸るような顔をして、青年が目を閉じる。

 やがて、その手がことりと落ち、オルゴールが誰も聞く者がいない木の床へと落ち、耳障りな音を立てた。





 魔法のモノは、扱いが難しい。
 その危険性をきちんと理解できるのは、それに精通した術師の類か、目で見て感じることができる魔法種族か。
 魔法具はものによっては持ち主の意志をも侵す。
 彼が呪物を望んだのは彼の意志だったのか、異国の地で取り憑かれてしまったのかは、わからない。
 けれど…








「これはもう、あなたの望むものじゃない……ここで終わらせる……!」


 振り下ろした剣の切っ先が殻を砕き、そのままオルゴールへと突き刺さる。
 開いたままの繊細な機械の中、銀細工の様な小さな琴が鋼の刃に貫かれ、つぶれ、砕けた。


 その最後の音は高く高く細く鳴り、どこか悲鳴のようにも聞こえた。





>> 10へつづく >>


■戻る■