【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・7 】




 シフォンさんの助けを借りた俺は、閉じた視界に少しの浮遊感の後……空気が変わったのを感じで目を開けたら、そこはもう別の空間だった。
 驚いたメルに魔法を撃たれそうになるハプニングはあったものの、先生の魔法は成功したようだ。

「お二人ともどうしてここに……? まさか……」

「違うよ、安心して。俺達シフォン先生の力を借りて、メルを追いかけてきたんだよ。ほら、これ」

 困惑しているメルに、右の手首を示す。
 そこにはふわふわ光る不思議な糸のようなものがあって、これが病室の椅子に座っている身体と意識とをつないでいる……らしい。
 糸が途切れないよう先生がきっちり握っているはずで、これがある限り戻りたいときにはすぐ戻れるのだそうだ。正直突飛な魔法過ぎて仕組みはよく分からないけれど、そういうものらしい。(念に属する人たちの魔法の形状は、他の属性より際立って分かりにくいのだそうだ。説明を受けている時ちんぷんかんぷんで横のイーザに助けを求めたら、自分も理解できないからと匙を投げられた。ひどい)
 とにもかくにも、自分と同じように捕まったのではと心配するメルに証明して見せたわけだけれど、

「ごめんなさい、見えないみたいです」

 メルは眉を寄せてじっと俺の手首を確かめたのち申し訳なさそうに眉を下げた。彼の目にも見えないなんて、やっぱりどういう作りかさっぱりわからないと、俺も肩をすくめるしかなかった。

「とりあえず、ここにシフォン先生の紐がついてるからちゃんと戻れるよ。俺達メルがどこにいるか情報を探しに来たんだ。ここは……」

「船か」

 俺がメルに状況を説明している間に、周囲を見渡していたイーザが呟いた。俺も改めて視線をぐるりと投げる。
 狭い木の廊下は天井まで立派な木で造られている。先ほどまで乗っていた商船の内装に少し似ている。それだけではただの狭い廊下としか分からなかったけれど、耳を澄ますと壁を伝う水の音と、足元が揺れているのを感じた。この感覚は覚えたばかり。
 彼の言う通り、船、だ。

「えぇ。ここは客船です。僕意外にも、何十人も乗っていますが……。……僕は多分、本当は『ここ』には居ないんですよね?」

 イーザの言葉に同意したメルが続けた、確信をもっての問いに、俺は驚きながら頷いた。さすがメル、もうそこまで気付いてたなんて。
 正直、今目の前で話していても、相手の実体が無いなんて全然実感がない。俺だったらたぶん間違いなく気付かないだろう。
 だって、触れるんだ。幽霊みたいに壁をすり抜けるとかでもない。

「うん……。メルは今、あの港町の病院で眠ってるよ。俺とイーザもそこにいる。シフォン先生がついててくれてる」
「そうですか……。迷惑をかけてすみません。不注意だったばかりに」

 肩を落とす彼はプライドが高いから、きっと失敗した現状が堪えているんだろう。
 でも、今この状態は絶対メルのせいじゃない。

「こんな風になるなんて誰も予想できなかったよ。シフォン先生も謝ってた。
 それよりほら、解決すること考えよう? 船の他の人達も早く帰してあげないと」

 肩を叩いて、俺は薄暗い廊下の前後をもう一度眺めた。どちらかに行けば、甲板に出るんだろうか。外を見れば場所が分かるだろうか?


 けれど、外を見て場所を見つけようという俺の考えは甘かったらしい。
 メルの案内で甲板に出た俺たちが見たものは、ただただ広がる真っ青な海と、空と、雲と、…水平線だった。


 天候は夏にしては少し陽が柔らかくて、波は浅い白波を立てる穏やかさ。高いマストに張られた帆が優しく風を受け止めて、船は静かに進んでいた。
 あの猫のような声の鳥がいないから、きっと陸地からはかなり離れているんだろう。
 イーザが方位磁石を出していて、横から手元覗き込むとどうやら船は南にすすんでいるようだった。

「……操舵室に入れば航路が分かるかもしれないな」
「イーザ海図読めるの?」
「いや。何かはあるかもしれないってだけだ。どうにかして舵をとっているんだろうからな」

 コンパスをしまい、足早に操舵室のあるだろう船首へ向かう彼を、俺とメルも小走りに追いかける。
 甲板で誰かに遭遇するんじゃないかと思ったけれど、意外と人気はなかった。本当に数十人も乗っているんだろうか?

「でも、あそこは開きませんでしたよ?」
「今のお前と、俺は少し違う」

 確かに。
 同じ実体無しではあるけれど、俺とイーザはここに捕まっているわけではない。
 甲板は広いと言っても距離に限りはあるから、目的地にはすぐに着いた。
 一見して普通の扉で、取っ手は重厚な鉄作り。躊躇いなく手を伸ばした彼が扉を引いたけれど、メルの言う通りドアは開かなかったようだ。
 …というか、

「………」
「今、すり抜けなかった…?」

 取っ手を掴んだように見えたけれど、彼の手が握れなかったように見えた。俺の言葉の確認するより早く、再度イーザが取っ手を掴む動作をしたけれど、見間違えではなかったようで指先が幻を掴むみたいにすり抜けた。……正直言って、違和感で気持ちが悪い。

「俺もやってみる」
「多分無駄だぞ」

 顎に手を当てて考えるイーザを押しのけて、俺も握ろうとしたけれど、駄目だった。……これが幽霊になった気持ちに違いないなんて、関係の無い言葉が頭に浮かんだ。

「僕は握れますけれど、動かないですよ。……まさか、こういう展開になるとは思いませんでしたね」

 手のひらを握ったり開いたりする俺が面白かったのか、隣でメルが小さく喉を鳴らして笑う。笑い事じゃないよ、もう。
 でも、取っ手をすり抜けるならもしや! と、勇んで両手で扉に触ってみたけれど、今度はしっかり木の感触に阻まれた。陽に当たってほかほかとした温度まで感じる。…都合のいい壁だ。
 明かり取り用の丸い窓から中を覗き込むと、狭い室内は暗かった。人の気配はない。
 遠くに丸い総舵輪を捉えてじっと見つめるけれど、無人で動いてるという訳でもないようだ。……静まり返ったそこに、動くものは一つもない。

「やっぱり、操舵してる人がいないっていうのは本当みたい。誰もいないし、動いてないよ」
「そうですか……。だとしたら、この船はどうやって進んでいるんでしょう」

 ただ漂っているという訳ではないだろう。
 やっぱり、船に乗っているように見えるだけで、実際は船じゃないのかもしれない。幻で出来た空間なら延々と海を滑っていることも出来るはずだ。
 でもそうなると、この中からではもう外の様子なんてわからないんじゃ…。

 同じことくらいきっとイーザも思いつくだろう。黙り込んでいる。
 他の手掛かりといったら、船内をもう少し探索することと、メルの言う他の住人に話を聴いてみるくらいだろうか……。
 あるいは、内側から結界を破壊する。それが一番手っ取り早いかもしれない。区切られた空間を作るためには絶対に必要になる媒介を探して壊してしまえば万事解決だ。…問題は、実体がない今破壊できるかどうかだ。扉の取っ手の様に擦り抜ける可能性もある。

 そんな風に考え込んでいたら、ふいに思い出したようにメルが口を開いた。



「でもこの船、少し前にレイ君達の船とすれ違ったんですよ? たぶん見えなかったんでしょうけれど、あの時の様子を考えるとやはり現実で何処かへ向かって進んでいるんだと思うんです」

「え? すれ違ったって……?」




「大型の船に乗っていたでしょう? 甲板に居たのを見ていたんです。本当にぎりぎりで、ぶつかりそうだったんですよ」


 


 予想しなかった言葉に連想した状況は、今この風景とはすぐに一致しなかった。
 絶句した俺の様子に、怪訝な顔で瞬く目が嘘や冗談を言っているとは思えない。
 ……でも、今この綺麗に整った現役の姿が幻であるなら、全然おかしい事じゃないと、遅れて気づいた。

「……」

 イーザの深い溜息で我に返り、俺はなんとか言葉を絞り出す。こういう時の説明役はいつも丸投げされるんだ。

「……メル、この船の場所分かったかも。…ていうか、この船が何なのかわかったかも」

 
 つい数時間前、命からがら抜け出した嵐の海を思い浮かべる。
 そう、彼がいう『すれ違った』船はひとつしかないんだ。透明な船ともすれ違ってたなんて、そんなギャグみたいな偶然は期待しない。
 だからつまり、
 
 
 ―― 『幽霊船』だ。


 今見てる姿はもしかしたら、あの老朽化した船の元の姿なのかもしれない。磨かれた、破損の無い美しい客船。
 現実に相対した方が間違いなく本物の見た目だろうから、にわかには信じられないけれど。

 俺の出した回答に、本当に珍しいけれどメルはもともと大きな目をさらに丸くして驚いていた。
 その反応は俺も同意だ。すんなり信じてくれたのが救いだ。まるで冗談みたいな話だから。
 そうして今度は彼がしばらく絶句した後に、ぽつりと返された言葉は、本当に冗談みたいな現実をよく表してくれたと思う。


「つまり、ここは見た目も中身もまさに『幽霊船』だったわけですね。例えではなく本当に」






  ◆ ◆ ◆





「おかえりなさ…」
「先生、『幽霊船』を探してください! みんなは海の上です!」


 場所が分かったならば、遭遇した時間を考えてすぐにでも探しに行かなければならなかった。
 何しろ、相手の幽霊船は移動しているし、ただの船ではない。歪んだ精霊までくっついているとんでもない代物なのだ。
 見つけるのも大変だし、見つけたところで近づくのも大変だろう。

 戻りたいと願うだけで、どういう仕組みなのか身体を引かれるような感覚の直後、もう意識は元の病室に帰っていた。
 仲良く椅子を並べていた隣のイーザも同じく戻れたようで、目覚めるとすぐに外套を羽織っている。
 俺も今すぐにでも探しに出たくて、目覚めると同時に捲し立てた俺に目を白黒させているシフォンさんに、見てきたことを急ぎ説明していく。
 たどり着いた先の船の事、メルの話、そして自分たちが今日遭遇した『幽霊船』の話。

 次々に話したから内容が整理できていなかったけれど、じっと訊いた彼はきちんと理解してくれたようだ。

「わかりました。その『幽霊船』、ここ最近度々目撃情報のあった噂話ですね。まさか繋がるとは……。海岸沿いで被害が集中しているのは、陸に寄ったその船と接触したのでしょう……」
「とにかく、相手は移動してるからすぐに探さないと。たぶん今も南に向かっているはずです」
「そうですね。すぐに騎士団に連絡して海上の捜索に当たります。……ずっと、見当違いのものを探していたんですね。彼の、」

 ベッドで眠ったままの少年を見ながらその後に続きそうな言葉は、辛うじて飲み込んだようだった。
 俺達と違ってメルは戻れないから、船で別れるしかなかった。彼の事だから、ただ待つのではなく今後も船内の結界要を探しにいくに違いない。
 危険なことにならないように祈るしかない。だから本当に、せめて早く本体を見つけなければ。

 ちらりと、立てていた剣帯を装備しなおした青年を見る。シフォンさんの言いかけた言葉、多分、それくらいでは怒らないんじゃないかな、と思った。
 メルが巻き込まれたから俺たちが呼ばれて意識の元へ飛ぶことができて、…偶然にも俺たちが『幽霊船』に遭遇していたから正体に気が付いた。
 ……偶然がいい結果を呼んだだけだけれど、これで捕らわれた人たちが助かれば、結果すべて良かったんだと言ってしまってもきっと誰も責めないだろう。



 幽霊船探しは難航するだろう。

 俺たちは一度、受けかけのままになっていた停泊中のカンナさんの船に向かった。いくら緊急事態でも途中で放置するわけにはいかない。
 商船の損傷は修理にしばらくかかるらしく、代わりの船が受け取りに来るまでしばらく待つらしい。
 幽霊船の案件はすぐに騎士団の管轄になるはずで、そうなるともうイーザの(俺はおまけ)依頼がどうこうの話ではなくなる。事情をしたためた手紙を届けてもらい、俺たちはすぐに騎士団の駐屯所へ足を向けた。

 相手は海上だから、俺もイーザも探す手段が無い。

(でも、指をくわえて捜索の結果を待つだけなんて、出来ない!)

 きっとイーザも同じ気持ちなんだろう。騎士団の手を借りるなんてきっと絶対嫌だろうけれど、シフォンさんの話していた騎士団の待機所へまっすぐに向かっている。
 船にあるだろう何らかの媒介を探すためには、あの渦をどうにかしなければ入れない。それには、どうしたって騎士団の協力が必要なのだ。
 たとえどこかで船を借りても、あの嵐と渦の前では立ち往生して終わりだ。

(……変な言い方だけれど、これまで散々協力してきたから、きっと助けてくれる。……もし追い返されても、無理を通させてもらう)

 何も言わない背中を追いかけながら、俺はぎゅっとこぶしを握りしめた。
 絶対に、メルを助けるんだ。




「そんなに簡単には入れませんよ、あの船には」





 ふいに、涼やかな囁き声が耳元で響いた。
 淡く細い鈴の音と共に降り落ちたそれに、足を止める。この声は知っている。

「………何の用だ」

 声はイーザにも届いたようで、不快を隠しもしない低い声で応じた。
 耳元で声は聞こえたけれど、振り返ってもあの不思議な姿はない。イーザの視線の先を追うと、自称『予言者』は高いレンガ塀の上に座っていた。
 風もないのにたなびく黒いベルトに締め上げられた細い姿は、とにかく白い。透けるような肌の中、どこか面白げに細められた碧とも紫とも言えない不思議な目がこちらを見下ろしている。
 一種異様な姿はすれ違う他の人には見えていないようで、きっと、俺達が独り言を壁に向かって話しているように見えるに違いない。

「『幽霊船』を探すんでしょう? あれには簡単には入れなくて、二人とも、苦労しますよ」
「そんなこと、知ってる」

 この人には良い思い出も悪い思い出もある。
 どちらにしても、何を言われるかが重要で、俺は短く返してじっと耳を澄ます。
 イーザはこの人を嫌っているけれど、俺は悪意がある訳ではないと思っている。…『予言』するからといってこの人が未来を決めているわけじゃない。多分。

「だから少し、お手伝いをしようと思いました」

 にこりと微笑んだ『予言者』の言葉は、予想外で驚く。この人はいつも訳の分からない言葉を残すだけなのに、手伝い……?
 シャラシャラと鈴の音が重なる。


「…ッ 下がれ…!」

 ぽかんと呆気に取られて真白い人を見ていたら、直後、目の前にぐるりと黒い渦ができた。周辺が水を通したみたいに歪んでいる。…正確には、空間が『裂けた』ようだった。
 直後、内側から伸びた鋭い爪のついた手に腕を掴まれ、強い力で内側に身体を引かれる。
 情けないことに、あまりの事態に俺はそれを避けることもその場に留まるよう踏ん張ることも出来ず、咄嗟に俺の肩をつかんでくれたイーザごと、その暗闇へと引きずり込まれてしまった。

 

 

「……どうも有難うございます」

 裂け目が何事もなく閉じたのを見つめながら、目を細めて笑んだ『予言者』に、その場で答える者は誰もいない。
 突然道端で二人の人間が消えたことにも周囲の住人は気づいていないようだった。
 まだ高い夏の陽の元、変わらない様子で慌ただしく行き交う人波を眺め、その人は細めていた目を開けた。

「まだ、こんな所で立ち止まられては困りますから、ね」

 色の抜けた静かなつぶやきも、やはり誰にも届いてはいなかった。



>> 8へつづく >>


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