【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・6 】





 遠く離れ気配を追えなくなった商船に落胆し、僕は船倉へ戻ることにした。
 緩く髪に絡む海風は相変わらず穏やかだ。広がった帆が風をはらむ静かな音と、変わらない穏やかな波。
 けれど、陸で知っている精霊たちとは違い、微妙な無関心を感じる。それがこの船を守る結界のせいなのか、外洋の彼らの特徴なのかはよくわからなかった。
 どちらにせよ、早い解決のため外へ連絡を取るには、内側から結界を破るしか方法はなさそうだ。

 姿が消えている僕に気づいて、不審に思ったシフォン達が探してくれている可能性も高い。けれど、この船を特定するまでいったいどれだけ時間がかかるだろう。
 人々を乗せながらどこへ向かっているかもわからない。
 万が一、大陸を離れでもしたら……。


「あ、戻られたんですね、どうでしたか?」

 いつの間にか最初に入った食堂へ戻っていた。磯から連れてこられた彼が気付いて手を振ってくれる。
 居場所もないので近づくと、温かな朝食が二人分用意されていた。
 
「戸惑うでしょう? でも焦っても降りられないから、今は食べるといいわ」

 年配の女性が微笑み、珈琲か紅茶かと聞かれたので、僕は紅茶と答えた。
 彼は有難く食べているようだけれど、僕は先ほどの疲れか食欲が無い。淹れたての紅茶だけを有難く頂いた。
 喉を通る香りは馴染みのあるもので、沈んだ気持ちが少しだけほぐれる。

(やっぱり、操舵室のある開かない扉が怪しいかな……。でも、気づかないうちに物資が補充される倉庫も、もしかすると転移系の魔法がある可能性も……)

 入れない操舵室は後にして、倉庫の様子をみようと決めて、飲み干したカップを食堂の奥へ返そうと立ち上がった時。



「お父さん!?」



 突然入り口から、元気な声が上がった。

 振り返ると、入り口を押し開けた子供の影が飛び出すように駆けてきて、隣でゆっくりと朝食を食べていた男へと飛び着いた。
 その行動に迷いはなくて、彼も、その子供を認めると絞り出すように名前を呟く。

 視界に、しっかりと抱き合う親子の姿が飛び込んでくる。


「あなた、その子のお父さんだったの?」
「よかった! 寂しがっていたんですよ、ずっと」
「ねぇ、あの子のだけ? 私のお父さんとお母さんは迎えに来てないの?」

 方々で歓声が上がり、親子の再開を認めた人々が嬉しそうに席を立ち労いの言葉をかけてくる。



(……親子って……)



 周りの和やかな空気に反するように、僕はだんだんと、冷や水を浴びたように血の気が引いてくるのが分かった。





  ◆ ◆ ◆




 顔を見合わせた俺とイーザの様子に、行き違いがあったと気づいたのだろう。
 藤色の髪の医者シフォンは、安堵の顔から困ったように眉をゆがめた。

「では、偶然だったんですね。でも、ここに立ち寄ってくれて良かった。……申し訳ないのですが、一緒に診療所へ来てもらえないでしょうか」
「理由が先だろう」

 不機嫌そうなイーザの返答は、ざわつく郵便屋の狭い室内でぴしゃりと強く響いた。シフォン医師がどの立場でここに居るのかわからないけれど、かつても現在も騎士団の持つある種の秘密主義を、彼は強く警戒している。国を守る機関なのだからある程度は仕方が無いとしても、その代償として彼が辿らざるを得なかった年月を思うと仕方ないのだ。
 そこは俺が口を出すべきではないから、じっとやり取りを見守る。
 シフォンさんは一度、濃い紫の瞳を伏せてから、ゆっくりと口を開いた。

「まだ大事にはしたくないんです。詳しい事は診療所でお話したいのですが……昨日、メルファ君とは会えていますか?」
「メル? …はい、ルクスブルクで」

 当然出てきた友人の名前に驚いた。用事の途中でわざわざ鉄道を途中下車し、久しぶりに顔を合わせたのはまさに昨日の事だ。
 でもそういえば、メルはシフォンから預かりものがあるからと話していたのでは?
 結びついた事柄に覚えた嫌な予感が俺の表情に出ていたのか、医師が無言でうなずいた。



 港町の診療所はそこからそれほど遠くなかった。
 驚いたことに、騎士団も数名町に来ていて、シフォンがいう大事にしたくないに反し町の様子は十分に大事になっていると言えた。
 沢山の馬車はイスファレスから数多くの人間が移動してきたせいだったのだ。
 一体、この小さな町に何があるというのか。
 その答えは診療所の奥、広い病室にあった。

 仕切り壁のない広い室内は温かみのある木とレンガでできている。もともとは教会だったようだ。その広く高い天井の部屋は丸ごと入院用の病室となっているようで、所狭しとベッドが並べられていた。すでに満室に近く沢山の人々が横たわっている。
 高めの窓から落ちる強い夏の日差しを遮るカーテンで、室内は白っぽい柔らかな光が満ちていた。タイルの床をたたく靴と囁くような声意外音の無い、白くて静かな空間。
 こういう場所にはあまり縁がない俺は、場違いさに緊張しながら進んでいくと、シフォンのひょろりとした白衣の背中の向こうのベッドの一つに見覚えのある人がいるのを見つけた。思わず、医師の背を追い越してベッドへと駆け寄る。
 その突如響いた遠慮のない足音に、他の医師たちが驚いたように振り返ったけれど、構うものか。

「メル…!?」

 簡易なベッドの一つで静かな寝息を立てているのは間違いなく昨日話した友人メルファだった。
 病院用薄い毛布をかけられて、白い簡素なシーツと枕にほどいた金髪が散っている。

 穏やかに眠っている様子に戸惑いながら、枕元にかがみとりあえず顔色を確かめた。特に苦しげでも憔悴してるわけでもないし、ケガをしてる風にも見えない。いつも身に着けている左目の包帯は医者が解いたんだろう。簡易な結界を施してある彼の姉特製の眼帯は、枕元に小さくたたまれていた。
 ただ、これだけ慌ただしく近づいても、長いまつ毛の先一つ動かず、全く起きない。
 そっと周りを見ると、数人の白衣を着た医師や看護師がベッドの間を通っても、どの住人も同じように目覚めず眠っているようだった。

 追いついてきたシフォンの一歩後ろにいたイーザも、一度静かに眠る友人を見下ろした後に周りを見回し、眉をひそめた。
 この眠り方は尋常ではない。

「……本当に、申し訳ありません。危険がない程度だと判断し、私が町の様子見を頼みました。こんなことになってしまって、すみません」

 静かに落ちてきた謝罪は本当に申し訳なさそうで、屈んでいた俺のちょうど顔の高さにあった医師の両手は、悔しそうにぐっと握られていた。
 それだけで、彼が一般人の彼を不用意に巻き込んだことをとても後悔していることが分かった。
 その気持ちを持った医師を、これ以上責める気にはならない。
 それよりも、

「何が起こっているんですか? 教えてください……」





  ◆ ◆ ◆


 


 静かな船が音もなく波間を進む。


(こんなこと、ありえない)


 カップを持ったまま立ち尽くした僕の前で、親子の再会を喜ぶ人たち。
 息子を抱きしめる彼は忘れているようだけれど、彼の子が【ここ】にいるわけがないのだ。
 昨夜僕が、磯で倒れた子供達も病室で眠っていると確認している。…もちろん、彼がどこかで別の理由で息子を失っているなら別だけれど、あの海岸で彼は確かに『見つけた時には』と話していたはずだ。
 病院で眠っている一人だと僕が勝手に勘違いしたのだろうか? (そんな可能性は多分ない)

 テーブルに残った片掌に触れるのは暖かな木のぬくもり。目の前でまだ冷めていない朝食も香ともども本物に見えたけれど……ここは、まさか。


 意識した途端に吐き気が込み上げてきて、僕はカップをそのままに慌てて食堂を出た。とっさに細い階段を上がり甲板へ。
 なんとか堪えて、ぎりぎり欄干の外吐き出したけれど、たぶん胃に入っていたのは紅茶だけだ。ここに来てから初めて口にしたもの。
 喉に残る胃液の苦みに顔を歪めていると、突然立った僕に心配したらしい誰かが、横から水を差し出してくれた。
 有難く受け取って口をゆすぐ。…絶対に、飲み込まない。

「大丈夫? 顔色が悪いけれど、船酔いかな…?」

 それを首を振って否定したかったけれど、あえて反応せずに解釈は任せておく。
 皆気の良い人たちなんだろう。他にも何人かが、心配そうに甲板まで追いかけてきてくれた。
 名前も知らないその人達に、たった今思いついた問いかけをしてみる。

「皆さん、いつからこの船に乗っていらっしゃるんですか……?」

 僕の問いは吐いたショックで少し掠れていたけれど、不思議と波の音の中でもきちんと伝わったようだ。
 彼らはお互いに顔を見合わせた。

「さぁ、いつからかしら?」
「もうよく覚えていないんだ。ずっと乗っているような気もするし、つい最近のような気も……」

 曖昧な答えに、ようやく現状が見えてくる。
 これは本当に、【よくない状況】だ……。

「皆さん、降りたいとは思わないんですか?」

 確信を持ったその問いは重要だ。できれば明確な答えが欲しい。
 けれど、反応はまたもや曖昧。そんなこと考えたこともない、この船は港につかないんだ、目的地に着けば自然と降りられるのでは、と、言い訳じみた言葉を繰り返している。中には、降りたければ降りればいいと吐き捨てる者までいた。
 ……確定的だ。

(ここは魔法空間。恐らく、精神を捉える類の)

 その証拠に、人々は船(ここ)を出ようという気さえ失っているようだ。どれくらいまで正気なのかはわからないけれど、留まるべきだと思い込んでいる。
 彼らの身体は、あの子供と同じようにそれぞれの場所で眠ったままなのだろう。
 あの『眠り病』。これでは起きるわけがないのだ。魂が船に捕らわれて戻ってこない。

 恐らく、僕自身の身体もあの海岸に倒れているはずだ。子供の父親と共に、…眠った状態で。


 まさに『幽霊船』。ここにいる住人は全て、身体から取り出された精神だけ。実体なんてない。
 もちろん、この場で食べるモノ、飲むモノも全て幻。
 先ほどすれ違ったレイ君達も、僕が見えなくて当然だったのだ。
 

(早くこの空間を出ないと。
 僕はここの人達よりは影響が遅いかもしれないけれど、帰る気持ちをなくしたら、戻れなくなってしまう…!)


 そうなったら、精神の抜けだした身体がいつまで保つのかはよくわからない。
 眠ったまま死んだ人もいるから、文字通り、ここが『幽霊船』になってしまうのだろう。




  ◆ ◆ ◆




「私は先日、一つの仮説を立てました」


 滾々と眠り続けるメルの横に、簡易な椅子を人数分寄せてから、シフォンさんは長い話をかいつまみながら、ゆっくりと話してくれた。
 静かな病室に浪々と響く声は、あえて感情を殺したのか淡々としている。

「これは病ではなく魔法の類でしょうから、これまでずっと原因を探してきました。もとはルクスブルクより北が中心でしたが、昨夜彼から連絡を受けて、患者ゼロがここの発生である可能性が高くなりました。
 今、到着した騎士団が周辺を調べています。……まだ、原因は特定されていません」
「もし見つからなかったらどうするんですか……?」

 先の説明で長い期間探しているのに、大元が見つかっていないと聞かされていた。
 眠りながらすでに亡くなっている人もほんの一握り存在している。きちんと身体のケアをしていれば2カ月程度は間違いなく生きているけれど、目覚めないならそんな維持は何の意味もない。

「あらゆる解呪の類は試していますが、目覚めないのはおそらく……『中身』が別の場所にいるのではと考えています」
「中身ですか?」
「イメージするなら『心』です」

 思わず振り返りベッドを見下ろした。ここで寝ているのに、心は別な場所にいるなんて、ありえるんだろうか?

「何か結界を施した入れ物に閉じ込められているのではと。そこから解放すれば、皆さん目覚めるのではないかと思うんです」

「結局、魔法の媒体を探さなきゃ、身体だけあっても打つ手がなくなってきたって言いたいわけだな。
 ……それで、なんで専門家でもない俺達を呼ぼうとした。まさかメルファ・タータルナを巻きこんだ謝罪をそいつにしたかった訳ではないだろう?」

「イーザ! そういう言い方は……!」

 あえて自分を外したイーザのちくちくとした棘に、シフォンさんはうつむいてしまった。
 今はそんな場合じゃない。イーザがこういう事に敏感なのも、今、友人を再び巻き込んでることに内心かなり怒っていることも分かってる。でも、

「シフォン先生、何かあるんでしょう? 教えてください協力しますから」

 わざわざこの混乱のさなかに、居場所がつかみにくい俺たちを呼んだのは、何か出来ることがあるからなのだ。
 俺の考えは当たっていて、意を決したように顔を上げた彼が両手を握りしめて口を開いた。

「今までの患者さんでは出来なかった方法があります。私の魔法で眠っているメルファ君の意識を追って、彼がいる場所を突き止めて欲しいんです。
 そうすれば、魔法の媒体を見つけられて、破壊できるでしょう」




  ◆ ◆ ◆





 気を取り直し、僕は心配する人々をなだめてから行動を起こすことにした。


 今度は食堂を抜けて、下の階にある倉庫を目指す。
 複雑な船内部の細い階段を慎重にたどりながら、ただひたすら考える。

 自分の認識が果たして正解なのか確信はないけれど、大方は合っているように思えた。
 精神だけでどこまで行動できるのかはわからないけれど、出来ることはしていかなければいけない……動けるうちに。

(食べ物や飲み物は避けないと。どういった形で影響が出るかわからないし……)

 口にするということは取り込むということだ。ここに来てお腹が空いたり喉が渇いた様には思っていない。
 だからここは気を付けていれば大丈夫なはずだ。
 でも、息をするとか、時を過ごすのは避けようがない。

(精霊が少し無関心なのも、僕に実体がないからなのかな……)

 応えてくれるけれど、手応えが心もとない。
 生きながら幽霊の気持ちを味わうのは、こんな感じなのかもしれない。


「……!」


 コツコツと木の廊下を進んでいた、その時だ。
 無人の廊下を歩いていたはずなのに、ふいに背後に空気の揺れが起きて、人の気配が現れた。

 船の住人ではないそれに、逃げ場も隠れ場もない廊下の真ん中だから、応戦のため振り向きざまに手に絡ませた風の刃を押し付けた。

「わ……っ」
「……っ」

 侵入者に向けた真空の刃は、相手に届く前に横から伸びた強い力で腕ごと叩き落され空を切った。
 聞き覚えのある声に咄嗟に力を緩めた僕を、相手は凄い力で抑え込んでくる。捕られた腕を的確にひねられて全く動けない。
 魔法を解いた風が鋭い音を立てて霧散し、抑え込んできた相手ともう一人の羽織った外套がばさりと煽られた。

 ぎりぎりと腕を極められた苦しい体勢では、言葉は出難くても気配はわかる。
 そもそも、彼は本気で抑え込みすぎだ。自分より一回りは小柄な相手を!

「レイ君!? と、イーザさんですよね、痛いです放してください……!」

 そう、背後に唐突に現れたのは、船で擦れ違って別れた僕の大事な友人たちだったのだ。


>> 7へつづく >>


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