【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・4 】



 二度目の港での作業を終えて、騒がしかった甲板が落ち着いたようだった。

 用意されていた冷えた水で喉を潤し、レイは低めの木の天井を仰ぐ。
 船というのは極力壁に穴をあけないようで、待機所にも丸くくりぬいたような明かり取りの窓しかなかった。おかげで室内の半ば以上が暗く、昼でもランプが点いている。
 波の影響でゆらゆらと不安定に揺れた明りが最初の頃は独特で落ち着かなかったけれど、それにも慣れてきた。
 当初は船員たちにからかわれ船酔いの心配をされたけれど、どうやら俺は酔いにくい体質だったようで、床が動き続けるような不安定さに慣れてくればどうってことなかった。

 頭上の気配が静かになった後、身体が一方に引きずられるような独特な揺れと、船底で水の擦れる音が響いた。
 重く体の芯に響くような低音は舵を切る音なのだと船倉に降りてしばらくしてから教えてもらった。それでも、ぎぎぎ…ときしむ音が身体を抜ける感覚はなんとなく不気味だ。


「この後は夕刻までに次の港に入って、そのまま朝まで停泊だったな」

 手帳をしまい、今度は小さな文庫本のようなものを開いていたイーザがふいに声をかけて来て、やや驚く。
 まぁ、この船に待機してから半日以上何も起きていないのだ。流石の彼も暇を持てます頃だろう。

「うん。さっき見てきたけれど、相変わらずいい天気だったよ。『幽霊船』はいないかも」

 暇を持て余すのは俺も同じで、友人はずっと黙っているし、カードゲームは弱すぎてからかわれるだけだしで、結局できるのは船の中の探索と、海を観に行くくらいだ。
 その海も、昼の甲板の灼けつける暑さに加えて、港に入らなければひたすらに、水、空、雲、波(沖に出るとあの独特な鳥たちもいつの間にかいなくなってしまう。話によると、港の近くでないと飛ばないらしい。よく考えれば羽を休める木々は海の上には存在しないのだから、当たり前だった)と、さすがに数刻で飽きてしまった。
 ならば、件の幽霊船の痕跡でもないかと水平線まで目を凝らしても、このすがすがしいまでの夏空の下、『幽霊』が出るなんて場違いもいいところだと思ってしまう。

 俺の返答にすいと持ち上がった青目は無表情だけれど、なんとなく眠たげに見えた。
 もしかすると暇すぎて眠いのでは…。うん、流石にこう何もないと、俺も眠くなってきそう。

「『幽霊船』は出てこないかもしれないが、そろそろ『海賊船』は出てくるかもしれないな」
「え?」

 もう昼寝でもしようかと、外套を下敷きに硬い床に腰を下ろそうとしたら、ふいに別方向から声がかかった。
 カードゲームを広げてだらだらと遊んでいた用心棒たちが、徐に散らかったテーブルを片づけだした。木扉がきしんで開いた音に目をやると、既に何人かは得物を手に甲板に向かいだしていた。

「ここから次の港までが、最初に襲撃されやすい海域なんだよ。兄さんたちも路銀が欲しかったら働きな」

 俺たちは『海賊船』ではなく『幽霊船』を探しているのだけれど、この何もない数時間にすっかり疲れてしまって、やっとの変化に俺は再度体勢を立て直す。
 いや、海賊と喧嘩したいとは思ってないけれどね? 暇すぎるんだ。
 同じなのか、根が張ったみたいにずっと同じ場所に座っていたイーザも立ち上がり、立て掛けていた剣を刺し直す。
 余計なことに首を突っ込むなと咎められるかと思ったけれど、俺が甲板に出ようとしてるのを止めるつもりはないらしい。きっと、彼もこの変化の無さに飽き飽きしていたのだろう。

 外に出ると、少しだけ天候が変わっていた。
 空は青いままだったけれど、潮風が強くなっている。快調に膨らんでいた帆が時折バサバサと不穏な音を立てた。
 猫の様な鳴き声の鳥たちがマストの周りをぐるりと大きく旋回した後に、みんな後方へと飛び去って行く。港からちょうど引き返す距離なのか、それとも別な何かから逃げたのかはわからなかった。

「お。ほらあれだ」

 手すりに凭れた用心棒たちに混ざって示された海を見ると、波間の遠くに、ぽつぽつと船影が数隻見える。
 どれも黒っぽい。目を凝らしたが、イメージのように、髑髏の旗を掲げたりはしていないようだ。

「ま、海賊船っていってもあの程度やつらだよ。ちょっとした海のごろつきさ」
「小さい船だね」

 思わず零れた感想はそれだった。海賊船たちは様子見をするように、距離が空いたまま並行して進んでいる。
 荒れ始めた波の上で隊列をくむようなそれらは、商船と比べれば小ぶりな漁船のようなサイズで、狭い甲板には数人の人影が見えた。

「……『幽霊船』には見えない」



「反対にも回ってきたな。乗り込むつもりらしいぞ」

 投げられた声に振り返ると、反対側の手すりから海を覗くイーザがいた。羽織った外套がバタバタと風に煽られて、フードの先から銀髪がこぼれている。その視線を追って海を見ると、同じような小船が数隻どんどん近づいてくる。
 目を丸くしてそれを認めてから、慌ててもう一度最初の船群に目を戻すと、彼らもぐいぐいと近づいてくるところだった。

「げ…うそ」
「兄ちゃん海賊船目当てじゃないなら、船倉に戻ってな。ちょっと派手な喧嘩になるぜ」

 慣れたものなのか、用心棒たちが笑って得物を構える。
 その余裕の横顔から、まだ乗り込むには距離があると油断していたら、風切り音を立てて何かが甲板に飛んできた。
 硬い木の床で跳ねたものを何事かと目で追うと、素早い蛇の様な速さのそれは床をひっかき甲板を走る。最終的にガチリと鋭い音を立てて船のへりに引っかかった。
 それは太く丈夫なロープを付けた鍵爪で、太い欄干にしっかり食い込むと同時に、威勢のいい声が方々で上がった。

 その鍵爪とロープを使って乗り込んでくると気づき、俺は慌てて欄干から離れる。

「わ…っ すごい…」
「わかってると思うが、燃やすなよ」

 通る声に振り返ると、重なるように悲鳴と高い水飛沫が見えた。
 その後イーザも欄干から離れたようで、甲板の中央あたりで背を合わせることになる。 

「わ、わかってるよ! それくらい…!」

 ここは木造船だ。万が一でも俺の魔法が暴発すればどうなるかなんて想像に難くない。
 以前タータルナから出た際の客船を吹き飛ばし川に落ちたことがあるけれど、レベルが違う。海で溺れるのは遠慮したい。

 ロープを伝って乗り込んできた海賊たちは、お伽話にあるようないでたちではなく、潮風で褪せたような薄手の民服や短パンを身に着けた一見すると水夫の様な者たちだった。ただ、手に手に剣やナイフ、こん棒を持っているから穏やかではない。
 
 先ほどの悲鳴が気になって振り返ると、ちょうどイーザが立っていた当たりの鍵爪からはごっそりロープが斬り落とされていて、あがった水飛沫に納得した。
 乗り移られる前にロープを斬ってしまったのだ。……容赦ない。

(よし…!)

 背中合わせから離れて駆け出し、方々で起こり始めた喧嘩を避けながら海を見下ろす。
 荒れ始めた波間で、小さな船たちは鍵爪ロープを頼りに商船に並行して固定し、それを伝って今まさに第二陣が乗り込み開始といった風だった。

 喧嘩に夢中になっているから誰もこちらを見ていない。それを確認して、イーザに倣って鍵爪からロープを切り落とすことに専念する。
 これ以上乗り込まれては、俺まで喧嘩要員になってしまう。怪我をするのも、怪我人が出るのもまっぴらだ。

「……っ 硬い…っ」

 けれど、編まれて何重にもコーティングされ使い込まれたロープは意外と硬かった。
 俺の剣の腕のせいもあるだろうけれど、一撃では刃が食い込まず、何度か打ち下ろす。彼の様に一刀両断というわけにはいかなかった。
 これがきっと、他の用心棒たちが鍵爪を積極的に狙わなかった理由なのだろう。

 俺の行動に気付いたらしい小船の方から怒声が飛んできて、同時に何か風を切って飛んでくるのに慌てて首をすくめる。
 空を切ったそれがころころと甲板に転がるのを目の端で確認。予想通り矢だ。続けて雨あられと飛んでくるのを欄干に身を隠して防ぐ。
 勢いはないし狙いも甘いけれど、下手ななんたらも数あれば当たる。とてもロープを狙えない。

 頭上の鍵爪の食い込みが増してギシギシときしむ。恐らく、俺が頭をひっこめたから彼らが乗り込み始めたんだ。

(てことは、矢は止まった…!?)

 チャンスとばかりに身体を起こし、剣を構えようとしたら、酷い勢いで後ろに引き倒された。
 フードの留め具が顎に食い込み、喉から潰れたような悲鳴が出て空を仰ぐ。いつの間にか灰色になった雲を背景に、風を切った矢が過ぎる。
 あっ と肝が冷えたところで、
 ザクザクと鋭い音の後、欄干の反対側で悲鳴と水に落ちる派手な音が響いた。

「位置バレしてるのに、余裕でおびき出されるとはな」
「……どうも」

 嫌味を言われても、目前で鮮やかな剣捌きであの硬いロープ易々と斬り落とされては、ぐぅの音も出ない。
 乗り込めないならばと矢の雨が降るかと小船を見下ろしたけれど、彼らは海に落下した仲間を拾って離れていくところだった。
 一度失敗したら深追いはしないものらしい。

「イーザ、他も、」
「他ももう終わってる」

 キンと静かな音を立てて剣をしまう背に、改めて甲板を見回した。あちこちに取り付いていた鍵爪は、俺が一か所に手間取る間にすべて斬られていた。
 甲板の上での喧嘩も、増援が無いことに気付いたのか、相手は覇気をなくしている。隙を見て何人もが自分から海に飛び込んで逃走を始めていた。
 逃げ遅れた数人が用心棒たちに取り押さえられ、縄をかけられていく。

「剣士の兄さん、いい判断助かったぜ」
「喧嘩もまざってくれりゃ早かっただろうに」

「依頼外だ」

 喧嘩中は船倉に隠れていた船員たちが荒れた甲板を片づけに戻る中、入れ替わりに暇になった用心棒たちはそれまで完全に距離を置いていたイーザに寄っていく。
 有事を経て打ち解けるものかと思ったけれど、相変わらずの態度の彼は自分からさっさと輪を抜けてしまった。
 その様子に結局男たちは肩をすくめている。……勿体ない、仲良くなれるきっかけなのに。

 一歩離れて見守っていた俺はため息をついて、風で落ちつかない外套のフードを抑える。
 空の灰色は増して、風に水気が出て来ていた。陸地なら嵐の予感。きっと、海の上でもそうに違いない。 

「なんだか、嵐になりそう。さっきまであんなに晴れてたのに……」

 雲が重苦しい。もしも雨が降るなら早めに船倉に戻るべきだろう。そう判断して振り返ると、てっきり先に戻ったと思っていた彼が、じっと船首の方を見つめていた。
 船の向かう先は、灰色の波と空。白波で船の揺れもひどくなってきた。

 船員たちが天候の悪化に備えてか、甲板に出ていた細々したものをしまいこんでいる。
 船はよくわからないけれど、これくらいの大きさの商船は、どれほどの嵐にまで耐えるんだろうか。

「……降るぞ」

 ぼそりとした声の直後に、ポツポツと甲板に小さな雨粒が落ち始めた。甲板の人々がざわつき、何人かは我先にと屋根の下に戻っていく。
 雨は一気に増して、夏の太陽で干上がっていた甲板がどんどん濡れて黒くなる。雨水を吸う土がないせいか、はじけた粒であっという間に水浸しになっていった。
 けれど、俺はイーザがじっとみている先のことが気になって、同じように目を細める。灰色の中、いったい何を見ているんだろう?
 視界がどんどんけぶるようにかすんでいく。空も海も色を変えると一帯がのっぺりとしていて、遮るものがないはずなのに逆に視界が悪く感じた。
 陸の嵐とは全然違う。足元の揺れが大きくなってきて、不安感が非じゃない。

「ありゃなんだ?」

 ふと、同じように雨を気にせず甲板にいたままだった用心棒のひとりが、素っ頓狂な声を上げた。
 その仲間らしい男も、目を凝らして雨の向こうを覗く。
 その視線の先に浮かんだものに、俺も驚いて欄干に駆け寄った。船首の先に、影が見える。

「…!」

 かすんで見えるのは降り注ぐ雨のせいだろう。
 白くけぶるはるか向こうに、この商船よりさらに一回りは大きな船が見えた。立派なマストが3本、けれど、帆は張っていない。
 それが波の揺れと風で不安定ななか、ゆっくりゆっくりと、向かってくる。
 いよいよ天候は嵐となって、吹き飛びそうな外套を抑えて俺はそれでも目を凝らした。

 この荒れた中、甲板にいる者たちはみんな息をのんでソレを見ていて、誰一人しゃべらないし、船倉に戻ろうともしていない。
 近づくにつれて、その風貌が見えてくると、俺の喉の奥が変な音を立てた。

「ぼろぼろだ…」

 視界不良の遠目でも、その大型船がひどく損傷してるのが分かった。
 3本のマストのうち、一本は斜めにかしいでいる。船の正面を飾る船首像は砕けた残骸が残り、バウスプリットは半ばで折れていた。船体もところどころ大きく穴が開いている。
 何より異様なのは、波風にもまれて木の葉のごとく揺れているこちらと違い、相手は凪いだ海を滑るようにまっすぐに進んでくる。
 異様さに固唾を飲んでいると、いつのまにか隣にいたイーザがぐっと肩を引いてきた。

「下がれ! …なるほどな、『幽霊船』とはよく言ったものだ。今すぐ離れないと巻き込まれる!」
「でも、あれ、」

 乱暴な手が引くままに、雨で滑る甲板を駆け出し、船倉の入口へ。
 その声に弾かれたように、固まっていた他の人間たちも慌てて屋内へと駆けだした。
 イーザは扉の近くに設置された伝声管をもぎ取るように外し、怒鳴った。ここにきてこんなに焦る彼は初めて見る。

 吹き込む嵐の風はますます強くなっていた。
 何故ぼんやりと見守っていたのか不思議になるくらい、甲板にいた俺たちは濡れ鼠で、高い波が欄干を超えて今にも頭上にかかる様。



「今すぐ『アレ』を避けて嵐を抜けろ! あれは『幽霊船』なんかじゃない。 近づけば沈められるぞ!!」




  ◆ ◆ ◆



  
「……!」


 はっと目を開く。うたた寝をしていたような頭痛が走り、鈍い痛みを訴えるこめかみを抑えてそろそろと身を起こした。
 手に触れたのが木の床の感触で、慌てて周囲を改める。
 広い空間、頬を撫でる風の感触に、屋外だとわかった。潮の香りに、静かな波の音。

「僕は……」

 じんとしびれた頭を抱えると、やっと記憶が追いついてきた。
 磯で【まずいもの】に遭遇したのち、意識が途切れている。
 精霊から引き離される最悪な状況を味わったけれど、今はその影響が無いのか視界にも感覚にも問題はなかった。
 するすると慎重に広げる感覚は、かなり広い平坦な木の床と、その周囲一帯に何もないことを捉えている。……ここはいったい、どこだろう?
 まさか、妙なものに巻き込まれた結果、場所の転移でも起こして移動したのだろうか?

「う……」

 掌に触れる床の感触に怪訝に思っていると、すぐそばでうめき声が上がり慌てて振り返る。
 覚えのある声に、すぐにその肩を揺すった。

「大丈夫ですか? お怪我は?」
「大丈夫です…。すみません、ここはいったいどこですか……?」

 ついさっき『磯』で話した子供の父親と、仲良く飛ばされてしまったようだった。
 どこと聞かれても、メルファにも答えようがなかった。それは自分も知りたいことだった。

「……なにかに巻き込まれてしまったようなんですが……」
「そうなんでしょうね…。ここは、なんの船でしょう……」


 船、と言われてようやく場所が飲み込めた。


 立ち上がって、滑らかな木の床の途切れる位置、欄干まで移動する。はっきりとした頭と耳ならよくわかる。
 静かに進む波の音と穏やかな風の音。……ここは、船の上だったのだ。
 天候は至極良好なようで、穏やかな風が帆を膨らませている。
 周囲には何もない。海、海、海だ。

「……まさか……『幽霊船』じゃあないでしょうね……」

 苦々しい僕の呟きは父親の方には届かなかったようで、立ち上がった彼がほう、と小さくため息をつくのが聞こえた。
 どうやら、彼はまだ状況に追いついていないのだろう。正気に戻ればもっと焦るはずだ。この。どうにも動けない船上海の真ん中という状況に。

「……朝ですね……」

 彼の眼には、水平線を染め上げるそれは美しい朝日が見えたのかも知れなかった。
 それはつまり、あの『磯』で気を失ってから、なんらかの状況でこの船へ移動して、一晩が経ってしまったという事実だった。
 そうなると、どれだけ移動したのかも判断がつかない。そもそも、この船はどこへ向かっているのだろう?
 甲板に人の気配はない。
 でも一般的な大型船の様だから、船倉へ下りればなにかしらわかるかもしれない。

「中へ入りましょう。……ここにいても何もできません」
「そう、ですね……」

 一般人の彼を一人置いておくこともできないから、甲板を横切り、船倉への扉を探した。
 それは特に苦労もなく見つかり、扉に手をかけて一度息を止める。

 もし、この先に危険な人やものがあったらどうしよう? 一人で対処できるだろうか?

 ちらりと伺う背後の人は、あまり頼りになりそうもない。
 ……けれど、船の中の気配は穏やかだし、それほど危険も感じなかった。

(今は、状況を整理するほかはないですね……)

 こういう時、明るい友人がいれば思い切ったことも躊躇いなくできる。彼がやろうといえば、なんとなく、うまくいくように思えるからだ。
 それに、いざとなれば頼れる友人もいた。彼なら、たとえ自分がドジを踏んでも悪態をつきながら助けてくれる。
 どちらもいない状況というのは、こんなにも不安なんだと、旅の道中のトラブルなんてよくあったのにこんなに支えられていたんだと、唇を噛んだ。

「開かないんですか……?」
「いいえ。開けますが、少し後ろにいてくださいね、何があるかわからないので」

 焦れた声に返して、僕は意を決して扉を押し開けた。 
 



>> 5へつづく >>


■戻る■