【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・3 】



 空は、快晴だった。
 その瞬間までは。




 視界に広がるただ真っ青な空と、真っ白の雲と、水平線(本当に、ただまっすぐだ)を挟んで空よりも濃い青い海。視線を右に投げれば遠く大陸の稜線は見えるけれど、不思議に青くかすんでいた。

「……」

 ただ言葉もなく、揺れる甲板から船尾を見下ろすと、真っ青な波間に白い泡と波の軌跡がが遠く遠く何処までも続いていく。
 振り返って視線を上げると強い潮風に煽られた白帆が膨らみ、強い夏の光が透けて目に眩しい。
 猫が鳴くような不思議な声が、港を出てからずっとついてくる。最初驚いたそれは、どうやらマストを追うように飛ぶ鳥たちの声らしい。
 森や街にいる鳥とは全く違う声に、ただただ目を見張るばかりだ。

 ルクスブルクの港を朝早く出港した、カンナの父親が所有する商船。主な荷はこれから向かう港町へ届ける食料や日用品だ。代わりに、各都市の特産品含めた新しい日用品などを仕入れて、商船は一度南下する。そこで今度は南の漁村でも日用品含めた荷を積んで、今度は北上しながらやはり日用品をさばいていく。
 ルクスブルクに再入港するころには、船にはいっぱいの各地の特産品が積まれて、それを市場で売る、ざっくりと説明するとそういう商船らしい。
 本当はもっと細かい何かがあるのだろうが、商いに詳しくないレイはよくわからない。

 海から視線を外し振り返ると、光を遮るものがない甲板は硬くよく磨かれた木で覆われて輝いている。
 その上で忙しなく仕事を続ける乗務員たちは、皆よく日に焼けて屈強だった。それらを目で追っていくと、ちょうどレイのいる場所から反対の船倉の扉の近くに、樽の上に腰かけた見慣れた姿があった。陽を遮るようにフードを被っていて表情はよく見えない。

「よう、兄ちゃん船は初めてかい?」

 麻の大袋を抱えた船員が屈託なく笑いかけてくる。なぜ?と問うと、珍しそうに波を見ているのは新参だけだと笑われた。……確かにそうかも、と少し気恥ずかしくなる。

「しかしあんた、子供だよなぁ…。お嬢様が頼んだ護衛って聞いたけれどなぁ。……あんまり波観て船酔いするなよ?」
「こ、子供じゃないです……!」

 そんな風に言われた事は初めてでぎょっとする。確かに、この甲板の水夫たちに比べれば体型は比べようもないが、それはイーザもそうじゃないだろうか。
 思わず樽に座ったままの友人を見やると、向かいの船員もつられて視線を投げる。

「あー、あっちは剣士様だろう。あれはわかるぜ。なんか凄い目付きで誰も声かけられねぇしな。ありゃ何処かの傭兵かなんかかい?」
「えー……と、傭兵ではないんじゃないかなぁ……」

 否定したものの、そうじゃないとも言い切れなかった。…が、年齢を考えるとやっぱりそれはないかもしれない。
 歯切れの悪い俺の答えに、怪訝な顔をした彼は、遠くからかかった呼び声にこたえて仕事に戻っていった。

(まぁ、イーザはなんだかすごいピリピリしてるけれど、幽霊船が出てくる天気には見えないなぁ)

 見上げる空は雲こそあれど抜けるような青だ。あまり見上げると目が焼けるような明るさ。
 船の出港は早朝でその時は霧が出ていたから多少の雰囲気はあったけれど、今はまったくのゼロだ。

「本当に出るのかな、幽霊船……」






 船が港に着くと、慌ただしく荷揚げや荷下ろしが始まる。
 陽が高くなるにつれいよいよ灼けるような暑さになった甲板から、俺は避難して船倉に入った。
 中は陽を遮られただけでもかなり快適で、潮の少しの青臭さと、酒や香草のやや甘く刺激のある香りが微かに漂っていた。
 構造上狭く細い階段と入り口を抜けて、慣れないとちょっと方向の分からなくなる船内を少しだけ入ると、荷の護衛を任された者たちの休憩所がある。

 恐らく、雇われている護衛達はある程度顔見知りになっているのだろう。数人が丈夫そうな木テーブルを囲んで、つまみを片手にアルコールの薄い酒を煽ったり、カードゲームに興じている。雑多になっている待機室を見回すと、早々にそこに引っ込んでいたイーザは部屋の隅の方でいつも持ち歩いている手帳を繰っていた。
 誰かと話しているという予想もなかったけれど、本当に想像通り一人なので、なんだかなと思ってしまう。
 恐らく、レイが知らない旅の道中でも、ずっとこんな感じに基本一人、大勢が居ても壁を作って一人、だったんじゃないだろうか。

「あーほんとだ。子供がいるな。なんだ迷子か?」
「え」

 突然の声に俺が呆気にとられた反応を返すと、げらげらと笑いが起こった。やや下品なそれに俺は眉をしかめたけれど、そこまで強い悪意も感じない。
 おおかた、甲板で船員にも言われたように、俺の体型が他と比べると小さく見えるからだろう。絶対、年齢相応に普通なんだけれど、比べる対象が悪いだけで。

「からかってやるなって。ちゃんと腰に剣吊ってるぜそいつ。それにカンナの嬢ちゃんの紹介だ。
 ―― 悪いな、みんな悪気ないんだよ、ただ新入りが珍しいんだ」

 カードを置いて苦笑いで手を振った男性は多分30、40代くらい。胸元に投げナイフのようなものをいつか刺していて、たぶんナイフ使いなんだろうと思った。
 その笑顔に気にしてないと伝えて、やや散らかり気味の床をたどって隅を目指す。

「なんだ、船の見学は終わったのか」
「まぁね。みんな忙しそうで、邪魔しそうだったし」

 手帳に集中してるわけでもないのか、とりあえず近くの壁際を陣取ると視線も上げずにイーザの呟きがあった。
 喧騒のなかでも不思議と通る声に肩をすくめて答える。
 実際、荷揚げや荷下ろしで走り回る船員たちのある種の迫力に押されてしまったのだ。彼らはやはり、この船のプロなんだと納得した。
 でも、そんなプロの人たちも『幽霊船』が恐ろしいらしい。

「あの、」

 テーブルで再開したカードゲームに盛り上がる背中、先ほどやや親切にしてくれた男の人に向かって遠慮がちに声を掛けると、気のいい瞳が振り返った。

「あの、『幽霊船』が出るからって俺達呼ばれたんですけれど、見たことがある人いるんですか?」
「………」

 それまでざわついていた室内が、しんとしてしまった。
 どうやら余り楽しい話題ではなかったようで、しまったと思ったけれど、言ったことは消せない。
 沈黙を破るように、隣のイーザが閉じた手帳の音がやけに大きく響いた。

「……見たことはないんだが。色々噂が飛び交ってるな」
「降りたやつが見たことがあるって言ってたな」
「どんな様子だったんですか?」

 ひとり、カードを見つめたままの男の静かな答えに、初めて噂ではないものが聞けそうで、俺は身を乗り出した。
 だって、今まではどれもこれも『見たらしい』『出たらしい』って曖昧なものばかりだったからだ。
 これにはイーザも興味をひかれたのが気配で分かる。

「別の商船の護衛に入っていた時、たまたま嵐に遭遇したらしい。そこで遠目に見たと。誰も乗っていないボロ船に見えたそうだが、それよりも奴が恐ろしかったのは、
 一緒にいたやつが突然海に落ちたことだそうだ。……もちろん死体は上がらなかった。海が荒れてたんだから当然だがな」

 沈黙だった。

 波が船底を擦る音と、甲板で忙しく動き回る船員の作業音は変わらず響いていたけれど、この部屋の中だけがひっそりと冷たい。

「嵐だったんだろう。足でも滑らせたんじゃないのか」

 沈黙を破ったのは、隣の冷静すぎるような冷たい青年の声で、それに応え、語る男は首を振った。
 カードを見たままの目は沈んで見えて、彼が決して冗談で怪談を語っているのではないとなんとなくわかった。

「そいつが落ちる直前に、『この歌聴こえるか?』って訊いたらしいんだ。そいつは何も聞こえないから、『何の話だ』って聞き返したら……ドボンだ。手を差し伸べる暇もなかったってよ。まるで自分から飛び込むみたいで尋常じゃなく怖かったと。それからは聞こえない歌が恐ろしくて、耳塞いで嵐が収まるまで震えてた」

(歌……。メルの言ってた噂の半分って、本当だったんだ……)

「でも誰も幽霊は見てねぇんだろう? 海棲の魔物にも歌うたうなんて芸達者なやつは聞かねぇぞ。気のせいだったんじゃないのか? そのダチは聞かなかったんだろう?」

 カードを投げて別の男が声を上げて、あとは口々に、ああでもない、こうでもないと言葉が交わされた。突然戻った喧騒は、どこかピリピリとしている。
 おそらく、内心はみんなが不気味な『何か』の存在に恐怖しているのだ。それを払拭したくてしゃべっている。そんなものは『いない』と。

「…どう思う、イーザ。やっぱり何かいるのかな」
「何かはいるだろう。船はあるんだろうからな。……歌か、面白いな」
「何が面白いのさ」

 こそこそと言い合うと、なぜか『面白い』と返されて、俺は少し耳を疑った。
 全然面白くないと思う。少なくとも、人が死んでるし、正直正体不明だし。このまま遭遇したらどうすればいいのかわからない。

「歌を聞いた奴が嵐の海に落ちるなんて、そのままセイレーン<人魚>じゃないか。お伽話から出てきた魔物か」

「……イーザの感性、時々よくわからないな、俺。……オバケ嫌いなのに」

 うっすら笑みの形の唇に、俺は本音がポロリ、だ。
 お伽話の魔物が出てくるとか、対処のしようがなくて余計怖いじゃないか。彼が苦手なオバケと何が違うんだろう?

 俺の本音がにじんだ言葉に、珍しくやや目を丸くした顔で振り向いた。俺が揶揄っぽく言ったから驚いただけかもしれない。
 とにかく、少しだけ珍しい。けれど、


「別に…実体があれば斬れるんじゃないかと思ったからな」 


 あぁ、……。 ……俺はなんだか、変な笑顔を浮かべるしかなかった。






 ◆ ◆ ◆




 僕が指定の港町に着いたのは、夜だった。

 鉄道の最終駅で下車したそこは、やや離れた港を見下ろす高台に領主を掲げている本当に小さなヒト寄りの港町。
 近場の海で獲れる魚介を糧にし、周辺の町やルクスブルクとの商いで成り立っている。
 着いた時間は海風の収まった頃で、ひんやりとした町の空気に人の気配は少なかった。港の朝は早いから、どこも寝静まっていたのかもしれない。

 しかし、僕が来る時間は大体報せてあったためか、町の小さなお医者様は夜間に関わらず診療所を開けて待っていてくれた。
 礼を伝えて、早速病室に入る。――そして、僕はそこで驚きにただ息を呑むしかなかった。

「もう2ケ月になります。…そちらの子らは、そろそろ2週間」

「…そんな……」

 僕は用意された病室の広さと、そこに並んだベッドの数にただ目を見開くしかなかった。
 正確には数えていないけれど、少なくとも20人以上。整然と並んだベッドに静かに眠っている大人や子供だ。こんなに沢山患者がいるなんて知らなかった。
 僕の目には詳しい病態はわからないけれど、どのベッドからも弱い生命力しか感じない。つまりみんな状態は良くないのだ。

「どうして、報せなかったんですか…!? 最初の方、2カ月って今…!」
「ここは小さな町です…。訴えても上まで情報が行きません。みんな貧しい漁師やその子らですから…」

 どこでも聞く話だったけれど、いつでも聞きたくない話だった。ここも、いつも、何故そんな格差が生まれなきゃいけないのか、どうしても納得できない。

 僕の苛立ちに、騎士団の代理できたという立場のせいか年配の物静かな医師は怯えたように戸惑っていた。
 …違う、この人を責めたいわけじゃない。だって、この医師はそんなやるせない状況でも必死で彼らを看病してきたのだ。
 苛立つべきは、それが報われないシステムのほうだ。
 ぎゅっと掌を握りしめて、煮えそうだった心を静める。

「……王都の医師長から診断をするように指示を受けています。一番最近の患者はどちらですか?」
  
 示されたのは、一番手近で眠っている子供だった。
 その寝姿に、呼吸の荒さや苦しげな様子は感じなかったけれど、ただただ、静かだ。
 その気配に、なぜか昔ルクスブルクで関わった孤児たちの姿が重なった。

 枕元にかがんで鞄からシフォンに託された試薬を取りだす。仕組みはよくわからないけれど、魔法の気配があれば試薬の色が透明から紅になる。
 ……しばらく子供の近くで試薬を振っていると、ふっと手元が熱くなった。
 
「先生、申し訳ないのですが、色の確認をお願いします。僕は色がよく見えないんです。何色に見えますか?」

 問いかけながら、でも手元の熱に変化があったのは予想できた。近寄るランプの熱と気配に、背後から医師が手元を覗き込んでいるのが分かる。慎重に吟味した後に、彼は予想通りの答えを返した。

「赤、ですね」






「言伝を飛ばしますので失礼します。……あと、患者が見つかった場所を教えてください、調査が必要なので後から来る騎士団の方に報告をしないといけません……」

 部屋を辞して、万が一患者たちに悪影響を与えては困るので魔法使用のために病院の外へと向かう。

 正体の分からない魔法というのは恐ろしいのだ。その影響下にあるのが、僕自身のように魔法に耐性があるなら影響を緩和できても、ほとんどの人間にはそこまでの耐性はない。近くで強力な魔法を使われて波紋の様に影響を受け、弱った身体にショックを与えては取り返しのつかないことになる。
 そういった知識は、シフォンの下で少しずつ学んでいる。僕自身の事含め、大切な沢山の事を。

 静かな廊下を歩くと、自分の靴音だけがコツコツとやけに響いた。

(2ケ月前から患者がいるのなら、この町やその周辺が、患者の発生源。始まりは北じゃなかった……)

 騎士団も医師団も見当違いの場所を探していたことになる。
 発生源がここなら、今度こそ感染元も見つかるだろうか。

 患者の中には、すでに眠ったまま回復せず亡くなった人もいる。
 もしも、すぐにここが最初だとわかっていたら……助かったんだろうか。

(……。 『もしも』は無い。 ……今は、今できることだけをするんだ)

 もしもああだったら、あの時こうしていれば、そんな風に考えてしまうのは、僕の悪い癖だ。
 起こってしまったことはもう取り返すことは出来ない。
 出来るのは、今から起こることを変えることだけなんだ。

 診療所の外に出て、夜空に手を差し伸べる。指先にひやりと降りた夜の気配。夏なのに、ここはなんだか水のように冷たい。
 すぐに応える柔らかな風は、少し珍しい海の香りがした。

 鳥たちに現状と結果を乗せて、王都のシフォン医師の所まで飛んでもらう。
 距離があり、慣れない相手に飛ばすものだから、少し過剰な集中力を必要とする。少し重さを増した魔法力に小さく息をついた。
 間違えなく飛んでくれた自信はある。これで明日中には、医師達と騎士団がこの町にとその周辺を調査しに来てくれるはずだ。
 そうなれば、遅からず原因が解明されるだろう。

(出来るのはここまで、でしょうか……) 


 夜のとばりが下りてくる。
 夏の暑さが堪えたのか、仕事をひとつやり切ったと思ったら体がぐっと重く感じた。


「あの、先ほどの見つかった場所、ですが」

「あ……はい」


 背後からの控えめな声に、僕は振り返り首をかしげる。
 そうだった、まだ出来ることが残っていた。


「皆、港の少し先の入り江で見つかっています。
 特に最近の子供たちは、その近くの磯で遊んでいた間に、倒れたようで……」

「磯……。海岸、ですか」

 潮の香の強いほう、恐らくその磯があるのだろう方角を振り返る。
 夜風はひんやりとしていて、波の音もとても静かだ。
 僕はあまり関係がないとはいえ、今は夜間だ。一般の人に案内を頼む時間ではないはずだ。
 けれど、なんだかひどい胸騒ぎがした。


「その、あと一つお伝えしなければならないことが」
「なんでしょう?」

「一人、行方不明になった者がいます。そのことはおそらく、事件として報告されているはずですが、―ご領主様の一人娘のアーニャ様が、3カ月ほど前に屋敷から姿を消しました。関係があるかはわかりませんが……」


「………」


 行方不明…そんなことまでは調べていなかった。みんな病の事でいっぱいだったし、おそらく人間の行方不明者は、人の自警団の管轄だろう。
 精霊族側の情報網にはあまりかからないはず。まして、一人分の不明者など、この世界では度々あることで。

(でも、3カ月なら、何か関係があってもおかしくはないですね……。海岸の様子を見て、一緒に報告を送っておきましょう……)

「海岸を見ても構いませんか? 磯はまた明日にしますので、とりあえずは近場だけでも。方角はあちらですよね?」
「はい、でも街灯もないので暗いですよ、せめてランプを……!」

 確かに、旅行鞄も院内に置いてきたから、僕は手ぶらの状態だ。
 慌てて灯りを持ってこようとする親切な医師をやんわりととめた。これだけ人の気配がないなら、逆に僕も気を使わなくて済む。
 灯りもないのに暗がりを歩いていては、対峙した相手が驚くのだ。そういう防止を兼ねての灯りでしかない。勿論そんな事情彼が知ることはないけれど。

「必要ないので、お構いなく。僕が泊まる場所は、診療所内に……?」
「ええ、個室を一つ客室代わりに……。本当に良いんですか? 足元に気を付けてくださいね」

 普通は絶対駄目な暗さだろうけれど、僕が平然と頷くので逆にそういうものだと思ってくれたようだ。
 彼は人間だから、精霊族の騎士団の代理人には特別灯りなどいらないと解釈したのかもしれない。…まぁ、どちらでもよいけれど。

「では、行ってきますので、先生は先に休んでください。……ありがとうございました」




 見送るやや不安げな視線をふりきって、緩やかな坂を下る。海の潮風を辿るようにすれば、迷うほどの距離ではなかった。
 舗装された石畳にはもう昼間の熱はなくて、夏だというのに涼しい。鞄に入れたままの外套を羽織ればよかったと少しだけ後悔した。

 水の気配に港までたどり着いたと判断し、静かな波の音に耳を澄ませる。
 風が途切れた。おそらく、波もほぼ薙いだ状態だろう。

「静かですね……。ルクスブルクの港は賑やかだったから、なんだか海というより、湖のような……」

 ふっと、『視界』の先に気配を感じ、僕はその影の気配を追った。
 数10メートル離れた位置に、人がいた。属性の偏りのほぼない、魔法力を微かにしか感じない、港の人間だろう。
 僕は灯りを持っていないから、闇に紛れてしまっていて相手は見えていないはずだ。

(こんな時間に……?)

 起きている僕が言うのも難ではあるけれど、ここが港町だから人が寝静まり気配がないのだと、先ほど結論していたのだ。
 それに、僕の立つ整備された海岸付近ならともかく、気配の立つ場所は潮の香りが強く、感じる形状が不安定だ。恐らくは、磯。

「!」

 人影がふらりと海側へ動いたように見えて、僕はその場から駆け出した。…というよりも、風を使って移動した。
 磯の形状は不安定で、僕が走るのには向いていない。驚かせない程度の高さで風で体勢を支えたまま移動する。
 この移動方法は、レイ君達と旅の途中で身につけた。彼らとは補正されてない山道を歩くことも度々あったから、ゆっくりと周りの状況をつかんでいる場合ではないこともままあった。そんな時、遠慮なく魔法力を行使することを学んだのだ。…人には得意不得意があるから、決してズルではない。

「大丈夫ですか…!?」
「え!?」

 突然暗がりから現れた僕に、相手はひどく驚いたようで、尻もちをつきそうなところを手を差し出す。
 とっさにつかんでくれたものの、僕の体重と相手の体重が違い過ぎて、逆に僕の方が引っ張られて倒れこむことになる。
 危うく、磯なのか海水なのかに倒れこみそうなところを、相手が支え直してくれた。

「す、すいません…! あなたこそ大丈夫ですか…!?」

 男声があせった声で降ってくる。

「……大丈夫です…。ごめんなさい、驚かせたのはこちらなのに……」

 これは情けなくて謝るしかなかった。
 体勢を直しながらよく近くで確認すれば、その人がいる場所はまだ海の際というほどではない、磯の半ばだった。
 それに、ほんのり感じる熱、ランプがすぐそばにある。

(早とちりして…恥ずかしい…)

 顔から火が出そうなのを、暗がりに隠し、気を取り直して思いついた疑問を投げかける。照れている場合ではなく、仕事をしろと叱咤する。

「僕は、イスファレスの医師団の代理です。こちらで多数ある症例の確認に来ました。……明日には医師団もつくはずですが、あなたはここで何を?」
「え…! お医者様でしたか…!」

 驚いた気配に、色々と誤解が生じたと察した。気恥ずかしさで捲し立て過ぎたのだ。

「医者ではないんです、代理の事前調査のようなもので……。診療所の医師の方から、こちらの磯で子供たちが見つかったと聞いています」

 僕の言葉に一瞬強い喜色を浮かべた彼は、重ねた訂正に、落胆と、でもじわじわとどこか安心した気配を見せていた。

「えぇ…ここで、私の息子も見つかりました……。磯遊びをしていたようで、見つけた時は、もう……」
「…! お父様でしたか……」

 納得した。
 息子が原因不明の病に倒れた現場をずっと彷徨っていたのだ。手がかりがないかと藁にもすがる思いで。
 きっと、僕をイスファレスから派遣された医師だと期待して、そして落ち込んだ。……でも明日には本物の医師たちと騎士団が来る。そうなれば、原因の解明も早いだろう。

「僕もご子息を早く治して差し上げたいんです。その為に情報が必要です。この場所や港で、何か変わったものや、場所などは見かけませんでしたか?」

「変わった…もの…」

(ヒトの目では難しいかもしれないけれど、急に始まったのならば、何かが変化したはず…)

 それが魔法的なモノならば、ヒトの目には映らないかもしれない。それでもその元になるものは何かしらあったはずだ。
 その変化を知ることができれば、原因の特定はより容易になる。たとえば違法な魔法具の類ならば、媒介さえわかればあとは解除するだけだ。


 じっと考える父親の前で、何らかの答えが聞けないかと息を殺していた僕は、……そちらに集中するあまり、周りの事が疎かになっていたんだと思う。
 耳に届く波の音も、海風も無い。
 ただひんやりとした冷気だけが、海から霧のように広がっていた。

 随分静かで『海というより湖のようだ』なんて、もう少し考えれば異常だって気づいたはず。
 ただ、眼前にいた男性が、急に息を呑んだから、反射的に後ろを振り返ったのだ。



 彼の目に何が映っていたかは、僕の認識のあとに音として耳に届いた。

 まず、僕の目に映ったものは、『ひずみ』だった。歪んで飲み込む『黒い渦』。
 渦を中心にどんどん視界が『闇』になるから何が何だかわかずに、恐怖した。

 そして、同時にぐんと何かに引っ張られる感覚がして、ぞっとする。

 なにか非常にまずいものと遭遇した。現状に気づいた時には遅くて、自分の不注意に嫌気がさした。
 せめて、せめて名も知らないヒトの彼だけは巻き込まないようにと、離れさせたかったけれど、僕にはそれすらも出来なかった。


 僕の視界はすでに『真っ暗』だった。


(―― 精霊が 『居ない』 …!!)


 魔法の使えない魔法種族なんてそこらの人間よりも弱い。そんな揶揄が耳に甦って、まさにその通りだと思った。
 完全にモノの輪郭を失った世界では方向も分からず、状況も分からず、そして、僕の耳には辛うじて届いた言葉があった。たった一言。



「『幽霊船』…」






 ぽろぽろと異国の音が耳に届いて、 ……全て、暗転。




>> 4に続く >>


■戻る■