※この物語は季節感を重視しているため、本編との明かな矛盾を含みます。
※レイ・イーザは旅人業。メルは時々別行動。





 ただ、切ないほどの後悔だけがあります。
 あの時素直に訴えていれば、このように苦しむことはなかったのではないかと。
 けれど、あぁ、もう届かない。
 遠い異国の地にて、あなたは新しい恋を知るのでしょう。


 ただ静かに零れた嗚咽を、この青い海だけが知っている。




【 水底のオルゴールは追憶の緋を奏で・1 】






「あ、いい景色! 当たりだね、ここの部屋」


 眼前には、ちょうど開けて少しだけ下がるレンガ調の街並みと、地平線を携えた真っ青な海が見える。
 吹き抜ける風は潮の匂い。 季節は、夏の盛り。



 オパーサ西部最大の港毬ルクスブルク。外国との主要出入り口として栄えたこの街はとにかく広くて、人が多くて、賑やか。
 一番の観光名所である巨大港市場では各国の品が所狭しと並び、異国の民も入り乱れる。その賑やかさの陰、一見さびれたスラム区に広がるのがもう一つの名所ブラックマーケット。こちらは違法な品まで揃う港町の裏の顔。そして最後に、定期的に開かれる各国の名品が集うドク・オークション。レイ達には一見関わりのない華やかな貴族の催し。
 その主催者の娘カンナと、屋敷に勤めるシキ、セイの兄弟と交流した記憶も遠くはない。

「元気かな、みんな」

 潮風にやられたのか、少し傷んだ窓枠を押し開けると、キィと鳥が鳴くような音がした。海の気配が薫る風が吹き込み窓に備えられたカーテンを大きく膨らませる。
 港にほど近いこの安宿からは、意外にもちょうど真正面に青々とした海が臨めた。夏雲は青空に広がるように膨らみ、海は以前に見たものよりもさらに鮮やかにきらきらと波を光らせている。ぽつぽつと白い船も浮かんでいた。
 初めて訪れたときは実物の海の大きさに息を飲んだが、立ち寄るたびに表情を変えるその大きな水の塊は何度見ても飽きないと思った。
 抜ける潮風を浴びるとここまで歩いてきた暑さも少しは和らぐ気がする。頬を撫でるそれに目を細めていると、

「おい、自分の荷物は自分でやれ」
「はーい」

 同室のイーザの不機嫌そうな声が響いた。振り返ると、彼は砂鼠色の外套を部屋の椅子に投げ外し重い剣帯はベッドへ置き、手持ちの荷物を改めているところだった。備え付けの洗濯籠へ道中に使っていた薄手の毛布がすでに投げられている。
 部屋はいつものツインだ。そのほうが色々と安くなるからと、わりと慎ましい努力なのだ。
 自分も着たままだった白外套を投げて、いい加減腰にも慣れた剣を置き、同じようにしまっていた野宿用の毛布を出す。夏とはいえ、天候によっては夜は冷える。今回の道中はルクスブルクまで足が無く徒歩による移動だったため、なんだかんだと洗濯物も多い。
 旅慣れてきたせいか荷物自体は増えにくくなったけれど、テンポよく移動と休憩ができないと生活はなかなか大変だったりする。

「洗濯当番俺だっけ」
「あぁ。……剣貸せ」

 洗濯籠を受け取り、代わりに剣を帯ごと渡した。剣のメンテナンス方法もイーザには教わったが、それでも慣れるには及ばない。ただ護身用に持っているだけが多かった旅の最初とは違い、今は彼について行って依頼ごとをこなすこともある、使用する機会が増えたため、武器の調子もきちんと見てもらわなければならない。いざというときに使えないのでは困ってしまう。
 彼の持つ大剣よりもやや細身のレイの剣を引き抜いて、刃や柄や鞘までをじっと見つめる。やや硬質な色をした青眼が丁寧に細部を改めた後、一度瞬くと静かに鞘へ戻す。そのまま無言でレイのベッドへと置いた。

「問題はないな。部屋を出るときは忘れずに持っていけよ」
「うん。じゃあ俺は洗濯してくる。確か、メルがこっちにお昼くらいに着くって書いてたよね。迎えに行かないと。」

 籠を抱えなおして、俺は数日前に速達で届いた手紙の文面を思い浮かべる。
 今回の旅に同行していなかったメルは、今は医師のシフォン先生のところでお世話になっているはずだ。一時的な別行動だが、度々手紙のやり取りをしてお互いの近況を知らせあっている。
 特に、旅生活で常に移動しているレイからの居場所の知らせは重要だ。連絡がつかなくなってしまうのはお互いに避けたいからだ。
 前回の便を受けて慌てて返信したらしい手紙には、いつもの近況はあまり書かれていなかったけれど、代わりにルクスブルクを通る用事があるから会いたいと誘いがあったのだ。

「カンナさんたちの話は…夕方だったよね。メルも一緒に行けるかな」
「あいつまで連れてってどうするつもりだ」
「え、だって、シキとかセイもいるかもしれないじゃん? 会いたいんじゃないかな…」

 シキとセイはメルの後輩だ。……カルマン先生の教え子という意味では、俺もメルの後輩になるのかな?
 性格は対照的だったが双方元気なウサギ耳の兄弟を思い浮かべる。かつてはカンナの屋敷の庭師だったはず。今はどうしているのだろう。
 そう、何を隠そう、予定の道中から逸れてルクスブルクに足を延ばしたのは、カンナからの連絡があったからなのだ。何かの伝手なのかレイ(というか、イーザが)旅の道中様々な依頼ごとを受けては解決するハンター業を兼ねていると知ったらしい。
 もちろん、ルクスブルクには自警団やもともとこの街に滞在するたくさんの同業者がいるわけだけれど、わざわざレイ達に依頼をしてきたのだ。その気持ちを無駄にはできなかった。
 レイなんてまだ駆け出しで、路銀を稼げればいいほうの新人だが、同行のイーザはレイに会うよりずっと前から主な生計はそれだった。所謂ベテランだ。依頼となればきちんと受けてくれる。それは旅の状況が変わった今だからこそ知った彼の別の顔でもあった。


 安宿に洗濯サービスなんてついていないから、籠を抱えて裏口を開け共同の洗い場へ向かう。宿を出るとやはり暑い。赤茶けたレンガ畳が熱を持っていて、足元から熱気が昇ってくる。じわりと浮かぶ額の汗をぬぐい空いていた木陰に陣取って桶と洗濯板、衣服用洗剤を借りてきた。
 井戸から汲み上がる水は冷たいのが救いだ。ひんやりとした爽やかさの恩恵にあずかろうと、靴も靴下も放り出して素足になる。
 子供に返ったつもりで思い切ってかければとっても気持ちがいい。飛沫が舞い上がるのも涼しい。……これは、今日の洗濯当番はラッキーかもしれない。
 このまま水浴びでもできれば相当に涼しいだろうけれど、名残惜しくも腕をまくり、たらいに浸した洗濯物を勢いをつけて洗い出す。昼前に終わって干していけば、夜には宿の人が回収して部屋の前に置いておいてくれるはずだ……。

(あっついなぁ…)

 見上げた太陽は昼には少し早い。けれどぎらぎらとしたその日差しは、今日も一日とても暑くなりそうだと訴えていた。



◆ ◆ ◆



「あー! メル、こっち!」

 賑やかなルクスブルクの、市場の次に人が多い長距離鉄道の駅前広場。
 そこの目印用の大時計の前で待っていた俺は、立派な駅舎の門をくぐる見慣れた小柄な姿を認めて、大きく手を振り声を上げた。その様子に、同じように横で腕を組み黙していたイーザが少し煩そうに顔をゆがめる。
 耳の良いメルファは雑踏の中でもきちんと呼び声を聴き取ったらしく、すぐに振り返ってこちらに手を振って応えてくれた。


「待たせてすみません。…やっぱり、こっちは暑いですね」
「お昼に着く便わかってたし、大丈夫だよ、お疲れ様」

 雑踏を抜けて合流した彼は、さすがに暑さに負けたのかいつも背に垂らしていた髪を一つにまとめていて、外套も着てい無かった。
 手荷物も以前と変わらないので、なんだか元の3人旅に戻ったようだ。

「俺達の宿までちょっと距離があるから、お昼はどこか入ってもいい?」

 午前中に街についたレイ達だったが、駅の近くの宿はどこも埋まっていた。どうやら、夏のルクスブルクではまた大きな行事が重なるらしくて、海水浴もかねて旅行者が増える時期らしい。まぁ、空いていたとしても、駅近くは高い宿が多いから縁は無いかもしれない。
 カンナの屋敷に泊めてもらう案は、イーザが断った。まだ詳しい依頼内容も聞いてはいないから、と、何か彼なりの拘りがあるらしい。

「あ、メルはもうどこかに宿とってるの?」

 ここまで考えて、すっかり抜け落ちていた思考に気が付いた。準備のいい彼の事だからすでに宿泊先を手配しているかもしれない。無くても、今泊まっている宿には空き室があったようだから、その場合は案内しようと、同じ目線にある端正な横顔を振り返る。

「……実は、残念なんですが今夜中には目的地に着かなきゃいけないんです。シフォン先生から預かりものがあるので、届けないと」

 少し持ち上げた鞄の中にその預かりものが入っているのだろう。
 医師のシフォンさんの届け物なら、医療物資とかだろうか。まさか、騎士団に関するものを一般人のメルに頼むことはないだろうし…。ましてや一人だし、寄り道をしてるし。

「そっか、あまり居られないんだね」
「ええ。レイ君達はカンナさんの依頼でしたよね……?」

 さすがに内容を聞くのははばかられて、流すと、代わりにこちらの事を聞いてくる。

「うん。夕方からカンナさんのお屋敷に行くんだ。詳しい内容はその時に」
「それなら、宿はお屋敷に泊めて貰えたのでは……?」
「そこはイーザが拘ってさ……」

 終始無言の反対隣りを振り返る。今はフードを被らずに珍しい青銀色の髪を晒し、伏し目がちに歩いているもう一人の同行者は、ちらりともこちらを振り返らなかった。
 話を振られたとは思っていないらしい。メルと二人しばしその横顔を見つめて沈黙していると、やっと『何だ?』と言いたげに視線を返してきた。それを受けてメルの眉が下がる。

「レイ君……イーザさんと二人で会話成り立ちます? ストレス溜まりません?」
「えっ まぁ、慣れたよ」

 ざっくりな言葉に苦笑い。メルがいろいろと飾らずに話してくれるようになってからはだいたいこんな調子だ。イーザは目を眇めただけで何も言わなかった。
 時々飛び交う毒舌は、ある意味イーザとメルにとっては気取らない良い距離感なんだと思っている。反りが合わなそうな言い方をしていても、事があるとちゃんと協力できるんだから、二人も本当は仲が良いのだ。たぶん。


 駅前の喧騒から離れて、港まで少しの距離で日陰を求めて適当なカフェに入った。
 港で獲れた新鮮な魚介や、市場に出回るハムやベーコンを挟んだボリューム満点のオープンサンドを頼むと、近況の話に華が咲く。
 手紙に書いたといっても実際に顔を合わせれば書ききれてないことはたくさんあって、俺は旅の道中の事、メルのイスファレスの事や騎士団の様子、各地の詳し事は俺よりもイーザの方が詳しいから、なんだかんだで彼も口をはさんでくる。
 そんな、ある程度近況の報告をし終えた時だ。ふと、半ばまで減ったレモネードつつきながら、メルが思い出したように喋りだした。

「そういえば、お二人は聞きましたか? 幽霊船のうわさ」

 突然の話題に、俺は食べかけのサンドイッチを持ったまま止まり、イーザも興味深げに目線を上げた。微妙な沈黙に、イーザの持っていた冷えた珈琲の氷がカラリと鳴った。

「えと、幽霊船って、お化けの船って意味の、幽霊船?」

 半端に食らいついていた分を飲み込んでから、改めて問いかける。
 幽霊船なんて御伽噺じゃあるまいし……。

「えぇ。最近このあたりの海で出るんですって。たくさん目撃情報が出ているらしいですよ」
「……ただの噂なんだろう。不審船の噂に尾鰭がついて大げさになったんじゃないのか。ルクスブルクの海域には最近海賊が出てる」

 ややの間の後に、最もらしいイーザの意見で、俺はほっと胸をなでおろした。別に怖いとかではないけれど、やっぱり幽霊船なんて突飛すぎると思うんだ。
 魔法や精霊や魔物がいるわけだけれど、幽霊は……見たことがない。教会では死んだ人は善でも悪でもまずあの世に行くものだし、精霊族の神話では死者は森に還るはずで、彷徨うことはない。というか、

「船が沈んで幽霊船になるなら、海にもっとたくさん幽霊船いることになるよね……」
「ああ」
「もう、レイ君も意外とリアリストですね……」

 面白くない、そんな反応をされて、メルもその噂を信じていないことが分かる。

「でも、妙に噂が真実味があるそうですよ。ある漁船が遭遇した時には、薙いでいた海が急に荒れて、該当の幽霊船には無人だったとか。帆も掛けずに海を進んでいたそうです。あと、歌が聞こえて海に落ちそうになった人もいたとか」
「なんだか、後半は知ってるような……」
「民話のセイレーンだろう。人魚。……似たような水棲の魔物はいるから、それこそ、後半は尾鰭じゃないか」

 再度の俺とイーザの反応に、今度こそメルは詰まらなそうに閉口した。

「まぁ、僕も海賊船の噂と、海の魔物の噂が混ざり合っていると思っています。……ただ、こんなに暑い夏ですし、ちょっとひんやりした話も面白いかなって思うんです。幽霊がいないなんて誰も証明できないじゃないですか。いるかもしれませんよ?」

 金茶の瞳を悪戯好きの猫みたいにゆがめて、にこりと笑う。
 俺はなんと返せばいいのかわからなくて反対側のイーザを振り返ると、彼はこっちを見るなと言わんばかりに目を逸らした。
 あれ、もしかして、

「イーザ、幽霊嫌い?」
「え、まさか怖いんですか?」

 またそういう言い方する。メルの少し弾んだ声に、イーザの片眉がひきつった。

「あやふやなものは好かないだけだ」

 ダンっと、空のグラスがテーブルを揺らす。
 意外過ぎる反応に、メルが口元を覆って笑いをこらえている。さすがに笑っては申し訳ないと思いながらも、俺も予想外な苦手なモノに思わず噴き出した。だって、イーザは亜竜を一人で狩れるくらい強いし、一人旅の大ベテランだ。いつも落ち着いてて不遜なくらいだから、噂の幽霊なんて……。
 そこまで考えて、そういえばイーザはあまり魔法が得意じゃないし、ネス(不定形のスライム状の魔物)も剣が効かないから苦手だと言ってたな、と思い出した。

(剣が効かない変なのものとは対峙したくないってことかな……)

「……、話がだいたい終わりなら、市場に行くぞ、俺は」

 苦虫を噛んだような顔で席を立った彼に、慌てて俺とメルも立ち上がる。サンドイッチは食べ終わっていたから、残りのサイダーを飲み干して、会計の紙をつかみ取った。
 その間にもどんどん店を出てしまうから、メルも苦笑いだ。 からかいすぎた!

「待って待って! 俺も市場行くし、メルも行くよね?」
「えぇ、ついでに、紅茶……」
「わかった、いつものお店だね」

 急ぎ会計を済ませて、店のパラソルの日陰から出る。途端に真昼の夏日が落ちてきて、目を焼いた。隣のメルは光に眩むことはないけれど、熱気を感じるのか空を仰いだ。
 なんだかんだで、日向で腕を組んだまま黙って待っていたイーザについていき、人波に乗って市場の方へ。赤茶レンガの緩やかな坂道を下って行った。




>> 2へ続く >>

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