微笑んだ彼女が何を考えていたのか、もう誰にも分からない。 優しい微笑みのまま二度と動かなくなったその唇から、真実を聞き出すことは出来なかったから。 だからこそ、暴くことにしたのだ。 決して許しはしない。ただ、その決意のために。 -02. 掃除屋.1-メリアグレス国国内屈指の大都市グラリスは、主に4つのエリアに分かれていた。 自治政府組織を集めた中央区画から、3本のメインストリートを中心に3つの特色あるエリアが広がっている。 メインストリートは、ヒルタ通り、ローゼン通り、アヲイ通りと呼ばれ、 ヒルタ区は都会的で第二の中央区と呼べる街の中心。多くの善良な人々が住む地区。 ローゼン区は政府高官や貴族階級の者の邸宅、巨大な公園や遊行区、貴族の学園などが設けられた高級住宅区。 そして、アヲイ区は異国の雑多な文化や、表立っては行えない賭博などの闇の部分を集めたスラム地区だった。 それぞれの地区の間には広い水路が敷かれ、対岸同士のエリアはまるで別世界のように隔てられている。そしてそれぞれから政府の中心である中央区の、見下ろすような建物を臨む事が出来た。 中央区との間には、まるで隔絶したように巨大な壁が立ちはだかり、「政府」と「民」は別個のものとして扱われる。 四種の生活の場と、四種の人間が住む場所。それがグラリスだった。 夕刻が迫る時刻。刺すような西日を避けるために設けられたブラインドが、金色の光を線刻みにして室内へと落としていた。 ――ピリリ! 不意に、静まった部屋に響いた電子音。ガラステーブルに置かれたPHSにグリーンの光が瞬く。 電気を落とした薄暗い室内の暗がりから、するりと伸びた白魚のような腕が小さな機械を取り上げるとゆっくりと応答した。 「『ルージュ』よ」 応答した声は少しばかり低音の妖艶なアルト。薄暗い室内にPHSのグリーンの淡い光で、女性の端正な顔が浮かび上がる。 機械から流れる声は小さく、聞き取ることは出来ない。ただ、その相手の言葉の端々で女性は小さく返事を返していく。 やがて、何度目かのやり取りの合間に女性は暗がりから窓際へと歩み寄った。窓から零れる黄金の光の中に、体にフィットする漆黒の異国のドレスを纏った背中が浮かび上がる。そのスラリとしたシルエットに、真っ直ぐなクリムゾンレッドの髪がさらりと舞った。 「えぇ」 そして、電話はそのままにブラインドの窓へ近寄った彼女は、光を刻む白いそれに指を掛けると少し押し下げて窓の外を見た。 黄金の夕日に照らされるのは整えられた美しいレンガ路地に、目に優しい緑と、咲き誇る丁寧に世話をされた花々。少し先には白く優雅な噴水まで。 人通りが少なく小奇麗にされたそこは、ローゼン区の中に設けられた古風な石造りも美しい高級アパート区だった。その高層階に女性の部屋はある。しばしその風景を見下ろしていた彼女だが、そのまますいと視線を上げた。 噴水の向かいの、同じような綺麗なアパートの、さらに先。 西日に目を細めて彼女が見据えたのは、赤い空を背景に黒々と立ち並ぶ中央区の建物。 「…そう。どうぞ、勝手になさいな。」 気のない返事に、電話の向こうの相手は少しばかり呆れたらしい。 『おいおい、何か他に言うことはないのか?』 声を大きくしたのか、音声が漏れる。その男声に女性はくすりと笑った。予想通りの反応だったのだろう。 「何か必要かしら? だったらそれ相応の代価が必要ね。 …私は『情報を売る女』よ?」 揶揄する声音と同時に、ブラインドから手を離して窓に背を向ける。乱暴に元に戻ったそれはカシャンと甲高い音を立てた。 女性の仕草で、艶やかな長い髪と、薄らとした笑みを浮かべた唇が西日を返して輝く。 「『ルージュ』の情報は、たとえ旧い友人でも有料よ。 ―ジオン」 深遠の黒い瞳が柔らかく細められた。 * * * 少年、レイス・L・ミノスが連れてこられたのは、アヲイ区の11番街。アヲイ区でも端の端、ヒルタ区との境界がすぐそこという古ぼけた安宿屋だった。 道中、お互いの簡単な自己紹介を済ませていた。 少女の方はティセル・アッサム、男の方はジオン・デュールという。驚いたことに、ジオンだけでなく少女の方もスイーパーらしい。 掃除屋なら武器を携帯するのは必然だと思うのに、武器も無しに銃を持つ男を説得に向かった無謀を尋ねると、少し困ったように笑った。相変わらず良く分からない少女だ。 そして、15という若さの彼女の無謀に少しも驚かない男は、身寄りが無いという少女の保護者代わりでもあるらしい。 スイーパーとしては『組んでいる』二人は、現在はアヲイ区の安宿を拠点にしているから、今回の事と今後のことの話し合いで二人の『家』へと案内されたという訳だ。 アヲイ区にしてはそこそこ小奇麗にされた路地に、ひっそりと建った宿は石造り。くすんだ年季の入った床はところどころに染みが浮いていた。木貼りの壁には何度か貼っては剥がしてを繰り返したようなポスターの跡まで残っている。 銃を常時携帯し、いつ何時いざこざを起こすか分からない掃除屋の借りる場所としては最適なのかもしれないが。 ただでさえ治安が良いとは言えないアヲイ区の宿屋というだけあって、宿の主人も色々と心得ているらしい。客でもない少年が一人無言で階上に向かおうとまったく頓着しなかった。起きているのか眠っているのか分からない無表情でカウンターに座っているだけだ。 幾つか並んだ部屋を通り抜け、一番奥へとたどり着くと、まずはジオンが懐から幾つかの鍵を取り出した。 少年の見る目の前で、設置された鍵を次々と開けていく。 そして、3個の鍵を回した後に、最後に胸ポケットから取り出されたのは古ぼけた安宿には不似合いなカードキー。 「………」 一介の宿屋に、こんなに厳重な鍵が付いているわけが無い。どう見ても改造だ。 レイスのうろんな視線に気付いたのか、ジオンは苦笑しながらカードを通す。 「まぁ、こういった場所だからね。用心だよ」 ピッという小さな電子音と同時に、扉のロックが解除された。 どうぞ、というように、わりとしっかりしたドアを男が開け放つ。 その部屋の中へ少女が真っ先に飛び込んだ。 「いらっしゃい! あんまり綺麗なところじゃないけれど、ゆっくりしてね」 振り返って微笑み、部屋の中を示すように両手を広げる。 部屋の中は、宿の見た目とは違って割と綺麗に整えられていた。 壁の木目も美しく、埃が溜まっていたりはしない。窓にはブラインドが下ろされていて、ソファーやテレビ、テーブルや観葉植物等の家具が並ぶ。 後ろでジオンが羽織っていたコートを脱ぎ近くのソファーへと放り投げた。 同時に、コートの下に隠し持っていたらしいライフルを一丁肩から下ろす。男の方はそのライフルと先ほどの重そうな拳銃1丁が携帯武器らしかった。 「ジオン! コートはちゃんと掛ける所があるっていつも言ってるでしょ!」 「あ?あぁ、悪い」 腰に手を当てた少女に、男は頭を掻き、コートを拾い上げると玄関脇へと掛けなおした。 「レイス君、そんなところに立っていないで、中へどうぞ」 玄関口で突っ立ったまま、そんな二人と部屋の中を観察していた少年に、男はにこやかにそう言った。浅黒の精悍な顔で、そのまま黙っていると寡黙な軍人そのものなのに、微笑むと途端にどこにでもいるおじさんの様な雰囲気になる男だ。 「どうぞ、こっちのソファーに座って。紅茶と渋茶どっちがいいー?」 何が楽しいのか、にこにこと笑いながらソファーを勧めるティセルに、レイスは無言で示された場所へと着く。 カウンターのように半分だけ仕切られた向こうが簡易キッチンらしかった。その向こうで両手に紅茶の缶らしきものを持ち、少女はこちらを伺っている。 「…紅茶で。」 「了解。ジオンは渋茶で良いのよねー?」 「あぁ。よろしく頼むよ」 そして、レイスの紅茶と、少女のミルクティーと、男の渋茶(ゆのみ)がテーブルに並び、漸く3人は話し合う体勢となった。 BACK / TOP / NEXT |